訴訟に医師免許停止、それでも高いハードルに挑む
名医街で勝負する、日本人医師の”ロックな”人生
2014/11/6
世界中の名医が最高の開業場所として憧れる英ロンドンのハーレーストリート。19世紀から続くこの由緒正しい場所で日本人として初の開業を成し遂げた伊藤隆ドクターに話を聞いた。前編:日本人初、ロンドンの“名医街”で開業した医師
——医師免許は一番大切なものですよね。何があったのですか。
あるイギリスのプライベート病院で喧嘩をしたんです。理由は、患者さんの扱い方についてです。いわゆる、より効率的にお金を稼げるような検査の仕方を病院から要求されたのですが、僕はイヤだったので、拒否した。
——そうなると、クビですか?
はい、クビにされました。
——その後のキャリアに響きましたか?
もう、響きまくりました。次の病院に移りたくとも、喧嘩した病院からの評価が必要で「バッドドクター」のハンコを押されて、GMC(イギリスの医師資格を管理する組織)に報告されてしまったので、医師免許が一時停止された。
それがあったのが40代後半のとき。自分の主張したことは間違っていないと思っていたので正直、「コノヤロー」という感じですよ。
早く名誉挽回のために、自分の意志を貫いて裁判をした。威張れたもんではないけど、自分は間違えてないと信じていたからです。最終的に私の主張が認められたのですが、1年半もの時間がかかっていた。時間が経ってしまったので、医師免許を取り直さなくてはいけなくなった。
イギリスで送る「ロックな人生」
——ロックが好きとはおっしゃってましたけど、まさにロックな人生ですね。
まぁ、異国の地で色々あってローラーコースターに乗っているようでした。裁判って長いしいつ終わるなんて分からない。こっちは個人、あっちは組織。人種も違うし「何だこのアジア人」という感じもあったかもしれない。
とにかく大変だったのであまり思い出したくない思い出ですね。裁判は日本より動きは早いと思うけど、僕にとっては大きな問題であるのは変わらない。その間イギリスで仕事もできないし、いつ免許が使えるようになるかも分からないので、裁判がない時は日本に出稼ぎに行っていた。
私の専門分野はちょっと特殊で、ペインの中でも椎間板ヘルニアや脊髄に原因がある疼痛性疾患という難しい所が専門。なので、特殊な手術を日本にしに行って、生きるためにひと稼ぎして、こっちに戻ってきて裁判の続き、という生活だった。
このことがあってから自分の理想のクリニックをハーレーストリートに開くしかない、という想いが強くなった。
——なるほど。そういう経緯もあって想いが固まっていったんですね。でも、周りからは驚かれたんじゃないんですか。
ええ。日本の友人達からは、無謀だからやめておけと散々言われましたよ。前例もないし、そんな所に開業なんて、何考えてるの?何をふらふらしてるの? もう40代なんだから、日本に帰って落ち着いたら? とか、本当に散々です。
でも、確かにハーレーストリートの敷居は高いから、そう言われるのも仕方ないかなって。
開業に必要な書類は500枚以上
——具体的にハーレーストリートで開業するまでどんなことをする必要があるのですか。
まずは、ここで開業するに値する医師なのか、過去の経歴から審査されるプロセスが大変で複雑だった。
しかもそれ以前に、そもそもハーレーストリートの物件をどうやって探していいのかも見当がつかない。なので、とにかくひたすらネットサーフィンしました。やっとめぼしい不動産屋を1つ見つけたら、たまたま当たりだったという感じ。家賃は幅があるけど、うちだと約160平方メートルで、診察室、外来手術室(処置室)、スタッフルーム(事務室)、廊下からなりますが、月に1万ポンド(約170万円)ぐらい。
見つけて入居までに3カ月かかった。ここでは水道1つ付けるにしても規則に沿った計画書を出して、やっと工事の許可が降りるという感じ。工事の間は、借りてても中には入れないので、ミーティングする場所がない。お金も電話もないから、ホテルのロビーが職場になっていた。それと平行して、徹夜でペーパー作業に追われた。
クリニックが保健所の審査をパスするのが大変なんですよ。書類だけで500ページ以上。それを裏付けるドキュメントも沢山用意しなくてはいけない。
近所の医師には、5年、10年経ってもパス出来るか分からないと脅されたり…。それもあって、本当に丁寧に時間をかけて書類を用意したんです。それで、うちは最短の3カ月でパスした。イギリス人医師達にも驚かれましたよ。
今でも、年に1回の抜き打ちの検査がある。日本も細かいけど、とにかくこちらはさらに細かいルールがたくさん。
——聞いているだけでも大変そうです。その苦労も乗り越え、開業した時患者さんは来てくれましたか。
最初は全く患者がいなかったです。1人来てくれたら、拍手。3人来てくれたら、万歳状態。やることがなくて近くで昼寝してたぐらいですから(笑)。
でも、割と早くその状況は終わって3カ月ぐらいしたらなんとか食べて行けるぐらいの患者さんは来てくれるようになった。昔から診てた患者も来てくれました。日本語を使えるのも売りの一つにしていました。
——色々大変なことがあっても、ハーレーストリートで開業するメリットって何でしょうか。
ノーベル賞でも取っていれば、どこで開業しようと大きな違いはないかもしれませんが、開業する場所はとても大切。開業前にすでにこのストリートで働いていたこともあり、そのレベルの高さも知っていたから、ハーレーストリート以外での開業は考えられなかった。ミーハーな部分も確かにあるかもしれませんが(笑)。
イギリス国内だけでなく、このストリートにこだわって海外から来る医師・患者さんが後を絶たないのは、ハーレーストリート自体が一つのステータスになっている。そして、技術の証明になっている。ハーレーストリートの魅力は世界的にみてとても大きいですね。
イギリスでは開業のハードルは相当高い
——日本では近くの開業医より、遠くても大きな総合病院にかかりたいという、大病院志向が強い傾向がみられますよね。そのため、大きな総合病院の外来は患者が集中していたりする。話を聞いていますと、イギリスでは開業医のイメージが日本と違う気がします。
それはありますね。こちらでは、NHS(国営医療サービス)が無料なこともあって、ある程度の力量がないと開業しても患者は集まらない。
だから、ここでは、独立のハードルは相当高い。独立してもNHSとかけもちする医者も多い。中途半端な技術で開業しても絶対に続かない。だって、無料の医療があるのに高いお金を払ってよく技術の分からないプライベート病院に行く人はいないでしょう。なので、開業している医師は全員が、その道で世界でもトップの技術と知識をもつ、プロフェッショナルたちです。
——では、日本とイギリスの両方の医療現場を経験された伊藤先生からみて、それぞれの強みと弱みはなんでしょうか。
日本は画像&検査崇拝主義。無駄な検査が多すぎる。それをしないと初診料や再診料が安すぎるから病院がつぶれてしまうという“裏事情”は分かるのですが、患者のためになっているかと言われれば、疑問符がつく。本当はやりたくない医師もいっぱい知っているけど、難しいところですよね。
あと、全く患者と目を合わせずにレントゲンとかをみて診断する医師も多いでしょ。患者ときちんと向き合わないのに、それでキチンと診療したと思うのはバカバカしい話だ。日本は、横柄な医者が多い気がする。それにコミュニケーション能力が全体的に低い。
一方で、日本は主治医制度がしっかりしている。少なくとも入院中は患者さんは同じチームに診てもらえる。それがイギリスだと極端な話、今日診てもらった医者には二度とお目にかかれないこともあります。GP(家庭医)やそれぞれのスペシャリストもでてくるし、それぞれは本当に実力があって優秀だけど、誰が統括してみるのかハッキリしない。毎日担当医が変わるのは患者にとって辛いことです。
あと、決定的に違うのは、日本には医師免許の更新制度がないことかな。
イギリスは厳しすぎるけど、日本は甘すぎる。
——イギリスでは毎年医師免許の更新が必要なのですか。
そう。毎年こちらでは医師免許を持つのにふさわしい人物か審査される。次年度の医師としての成長プランとそのゴールを作り、確認される。そして1年後にそれが達成されたかが審査される。どれだけ勉強したかも点数制でつけられる。ジュニアドクターからベテランまでこの仕組みは生涯続く。
そして、去年から5年に一度、患者さんやナースなどにランダムにアンケートが行き、周りの関わっている人達がその人が医師としてふさわしいか、技術や人格などが評価される。イギリスには、私も含めて色んな国からの医者が入ってきているからここまで厳しくする必要があるのかなと思います。けど、このシステムは受ける側にとっては本当に大変。
医師には全員GMCというナンバーが付与されていて、患者が見えるようにしなくてはいけない。なので、どの医者がどこで働いてるか全て管理されていて、患者は、自分の主治医がちゃんと医師免許を持っているか、そのナンバーで検索できる。
それと比べて、日本は一回医師免許をとれば、よっぽど悪いことをしないと免許取り消しは起きない。なので、厚生労働省はどの医者がどこにいるか分からないと思う。写真とかもないから、正直日本は誰かがもぐりでやってもバレないでしょう。患者にとってそれはよくない。
——最後に、今後の目標を教えてください。
プロのロックミュージシャンを目指す(笑)のは、半分本気だけど、医者としては、患者ときちんと向き合うこと、最新の技術や情報の勉強をおろそかにしないこと。それはハーレーストリートでもそれ以外にいても変わらない。
もともと、医学は「痛み」をなんとかするために始まった。なので、ペイン分野はいくらでも可能性がある。ただ、表面的に痛みを止めるだけでは無意味。世界中から来てくれる患者に、日本人らしい、きめ細かな気配りと、原因を突き止めるペイン治療をしていきたいと思っている。
※本連載は毎週木曜日に掲載します