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大企業に行かず、自分の人生は自分で決めた

ドワンゴで目玉事業を担う、28歳のイノベーター

2014/11/6
10月1日、KADOKAWAとドワンゴの経営統合が行われたのは記憶に新しい。伝統的な出版社とネット企業の融合は多くの人々を驚かせた。統合初日から川上会長自らが発表した新コンテンツの目玉が、川上会長自らが「ニコ生以来の大型サービス」と称する「ニコキャス」だ。詳細は明らかにされていないがその名称から「ツイキャス」のような動画配信サービスになると見られ、年内の開始が予定されている。
そんな次々と新たな手を打ち続けるKADOKAWA・DWANGOで新規事業開発部署を立ち上げたのが28歳の若手、稲着達也氏だ。ドワンゴは東証一部上場企業とはいえ、社員の平均年齢は31歳。「大企業に新卒入社していたら今の自分はなかっただろう」と語る彼のキャリアに迫ることで、若手の”大組織イノベーター”のロールモデルを探った。

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大企業に内定して感じた違和感

「もともとは普通に就活していて、3月に内定を辞退しました。それだけ引っ張るぐらいには悩んでいたんです。元々行く気があったからこそ就職活動をしたわけだし」

キャリアのスタート地点について尋ねると、稲着氏はそう語り始めた。彼は「日本のエンタメコンテンツを世界に広げたい」という思いを軸に、あらゆるメディアビジネスを扱う大手広告会社、外資系コンサルティングファーム、コンテンツ事業も持つグローバルメーカーなどから次々と内定を獲得した、言わば「就活強者」だ。

中でも最も自分の夢の実現に近いと思えた大手広告会社に入社する予定だったという。

しかし、そんな稲着氏が最初に違和感を覚えたのはゴールデンウィーク直後の内々定者向けの懇親会だった。

「大企業なので同期は百何十人もいました。そこで感じたのは”違和感”です。ある程度、広告ビジネスやコンテンツビジネスに興味を持ったから受けて内定までとったはずなのに、業界で流行しているトピックについて自分の頭で考えたことを話せる人がいませんでした。その代わり、就職がゴールになっている人がたくさんいました。それぞれが自己紹介するシーンがあって、そこで印象的だったのは『人生で一番うれしいことはこの会社に受かったこと』と言った人がいたことです」

そう語る彼自身は、コンテンツビジネスに携わることに並々ならぬ決意があった。その原点は小学生のころ接していたポップカルチャーにあるという。彼が小学校時代を過ごした90年代末は音楽が一番売れていた時代。稲着氏にとっての憧れは、華原朋美やglobeといったスターを次々とプロデュースした小室哲哉だった。

物材的な豊かさが幸せに直結する時代ではなくなってきた今、次代の豊かさを規定するのはもっと情動的な価値。すなわち、エンターテイメントやポップカルチャーではないだろうか。特に、文化資源大国である日本なら、日本発で世界を熱狂させるようなものが作れるはずだ。

稲着氏が小学校時代に感じた熱狂と憧れは、かくしてコンテンツビジネスへの興味に繋がった。

しかし、すばらしいコンテンツを作ることと、それをビジネスとして成功させることは違う。ビジネスとして成功できる、お金がある状態ならばよりよいコンテンツが作りやすいのではないか。

そういう仕組みを作って、もっと多くの人を熱狂させたい。稲着氏の思いは高校時代に文化祭の実行委員長を、大学時代にはビジネスコンテスト運営団体の代表を務めることで高まる一方だった。

そうした彼の学生時代の経歴を考えれば、大手広告会社を一度は就職先として選んだことは非常にしっくりくる。しかし例の懇親会を経て、「自分は本当にここでこの人たちとやりたいことができるのか」と悩むこととなったのだ。

自分の人生は自分でコントロールしたい

そんな稲着氏に転機が訪れる。学生向けキャリアイベントに、とあるベンチャー企業社長とのパネルディスカッションの相手として、たまたま友人経由でオファーを受けた時だった。

他社の内定者というポジションでのディスカッションであったが、稲着氏はそのイベント中に今の正直な思いを学生にぶつけた。

「自分は大企業の内定を複数とったからというだけでこの場に呼ばれ、一段高いところから話をしている。でも、本当は自分が偉いなんて思っていない。それどころか、本当にこの選択が正しいのか疑問すら持っている」

そう話した稲着氏に対してパネルディスカッション相手であったベンチャー企業の社長が後日誘いをかけた。

「うちで新規事業をやってみないか」。

役員の一人を伴い数時間語り合った。話をするうちにその社長と役員から確かな迫力を感じた稲着氏はこういう人とこそ一緒に働きたいと思い、そこで気付く。

「誰」と「何」の仕事をするかは、正面から大企業に入ったら自分で決められない。大企業では配属も、働く仲間も誰かが遠くで決めている。全てが運任せだ。自分の人生を自分でコントロールできないのはいやだ。

「当然それでも悩みました。有名大企業に入った方がやっぱりモテるんだろうか…とか真面目に考えましたよ(笑) でも、この人たちと働けるのであればいいやと考えたんです」

稲着氏の人生を変えた役員は、どこがそんなに魅力的だったのだろうか?

「たぶん世の中に『デキる人』はたくさんいると思うんです。商材さえあればどんどん売れる営業マンとか、爆速でコードが書けるプログラマーとか。でも、単にスキルが高いというだけではなく、一種の胆力、迫力を伴う『スゴい人』というのはあんまりいない。それを持っている人だったんです」

そのベンチャー企業に新卒で入社し、新卒研修ではトップの成績を修めるなど活躍するが、担当事業を軌道に乗せたのを機に、スタートアップに転じる。Webマーケティングというツールやビジネスの基本的なスキルセットは一通り学んだため、やはりコンテンツを作る側に回りたいと考えたのだ。

学生団体時代からの友人と共にデジタルコンテンツの創出・販売プラットフォームサービスを作り、投資も受けて事業を開始した。また、傍らではポップカルチャーに関する興行企画等も行い、台北でファッションショーを開催したりもした。

しかし、ある程度資金は回り始めたものの、より大きな事業として成長させるには資金が足りないことに稲着氏は気付く。コンテンツを作るにはやはり金が要る。事業をまわすことはできても”熱狂”を生むには程遠い。小学生の頃から持っていた課題にぶち当たることになった。

再び悶々としていた彼は、自分が愛読するブログの筆者に会う機会を得る。そのブログはあまりに簡素であったため誰が書いているのかも一見して分からなかったが、記事が上がるたびに「自分の考え方に似ている……」と思っていた。特に、今のウェブ業界を支配する「コミュニケーション勝負」の発想ではなく「コンテンツ勝負」をしたいというその人物の主張は稲着氏と同じ方向性で、当時の彼が自分より数段階先を行っていると感じていた「スゴい人」だった。

その人物こそKADOKAWA・DWANGOの会長である川上量生氏である。

「会うことになって、会社に呼ばれる当日に事前知識を入れておこうと会長の名前で検索しました。そこで『あれ、このブログの著者!?』と気付いたんです。直接会ってみて、改めてちょっとひねくれているところも、合理的でありながら夢を追っているところも僕と似ていると感じました。でも、やっぱり自分より先を行っていると思いました。」

川上会長も若き日の自分と稲着氏を重ねたのだろうか。ドワンゴに稲着氏を誘い、新たに新規事業開発部署を立ち上げさせた。

大企業の内定辞退からベンチャー、起業を経てドワンゴで目玉事業を担当へ。彼がそこで経験した困難と、培われたキャリア感とは。そしてドワンゴは稲着氏を満足させるほどコンテンツに向きあっている会社なのだろうか? 後編で掘り下げていく。

(撮影:須田英太郎)

(撮影:須田英太郎)