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「東日本大震災」発生から11年 各地で記憶を伝える行事

NHKニュース
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    株式会社ポーラ 代表取締役社長

    記憶を伝える。それにより次の犠牲を最小に抑える。慰霊と訓練。そして行政の取り組み、人々の意識。
    知識は大いに人を救う。語り継ぐ事は大事だと思っています。
    犠牲を無駄にしないと誓うと同時に、いまだ苦しむ人に寄り添い未来を作る。小さくてもできることから始めたい。


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    PwCコンサルティング合同会社/(株)スマートアグリ・リレーションズ(バイオマスレジングループ) Director/Executive advisor

    双葉町は、いまだ全町避難が続いています。
    今年6月以降の避難指示解除を目指す特定復興再生拠点区域(復興拠点)での準備宿泊が今年1月20日にようやく開始されました。

    原発事故から11年経過してようやく、避難区域となった県内全ての市町村で住民生活の再開が具体化されるまでになりました。

    東日本大震災は、まだ過去のことではなく、現在進行形の状態であることを認識しておく必要があると思います。


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    株式会社ナウキャスト 取締役会長

    あの日も金曜日でした。
    社外役員をしていた新丸ビルにある会社の取締役会の最中にあの地震は起こり、会議室の窓を見ると、赤煉瓦の東京海上ビルがしなり、日本郵船ビルでは窓清掃していた人を乗せたまま宙吊りになった足場がサーカスの出し物のようにスイングしていました。揺れが落ち着いてから階段で一階まで降りると、東京駅と皇居のあいだの行幸通りには、ヘルメットをして付近のオフィスから避難して来た人々で溢れかえっていました。電車も止まり、タクシーもないので、丸の内の中通りを歩いて帰宅する途中、丸ビルの中にある大きなスクリーンに、津波に飲み込まれていく仙台空港が映しだされているのを見て、その地震が首都直下地震ではなく東北地方の大地震だった事を知りました。
    その日は、関東地方は夜には小雨の予報で、歩きながら途中の富国生命ビルの下のコンビニでビニール傘を買おうと思って入ったら、傘はおろか食料品もほとんど棚になく、僅かに残っていたボトルの水とカロリーメイト二個をかって、鞄に入れそのまま虎ノ門病院の脇を通って、ちょっと危険な感じがした人の渋滞を避けて六本木通りまで抜けていった、という記憶があります。
    忘れられない経験です。


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