医療イノベーション

生まれも育ちも日本、海外で勝負

日本人初、ロンドンの“名医街”で開業した医師

2014/10/30

医者になった理由と海外に出るまで

イギリス、ロンドンの中心にある高級ブティックが立ち並ぶ大通りから奥に一本入ると、上品な小道が現れる。派手な看板は一切ないため、一見閑静な高級住宅街に見えるが、実はここは19世紀から続く世界的な“名医街”だ。その名もハーレーストリート(Harley Street)。世界の名医達が競って開業を夢見る場所。患者も世界の名だたるセレブが名を連ね、プライバシーは厳重に管理されている。

いとう医師

Dr伊藤ペインクリニック院長・伊藤隆ドクター

そんな欧州一の由緒ある名医街で、日本人で初めて開業した医師がいる。Dr伊藤ペインクリニック院長の伊藤隆ドクターだ。日本生まれの日本育ち。昭和大学医学部を卒業した伊藤ドクターが、どうして、またどうやって、世界有数の名医街で日本人初の開業に至ったのか、話を聞いた。

——もともと、医者になって海外に出る事に興味があったのですか。

いや、子どもの頃は全く海外に出るなんて考えた事もなかった。大学時代まで飛行機にも乗った事がなかったぐらいなんですよ。生まれ育った東京しか知らないような若者でした。

高校生の頃は、ロックミュージシャンかパイロットか医者になりたいって思っていた。現実的に進路を考えた時に、自分は医者になりたいと思うようになった。

こういう事言うと、変態だと思われるかもしれないけど、医学に興味を持ったのは小さい頃にテレビでチャンバラをみて、切られている人間の体の中がどうなっているのか気になって仕方なかったから。後は定番ですけど、野口英世の伝記とかみて、面白そうだなって影響されたり。

——意外ですね。では、なぜ海外に、それもイギリスに行く事になったんですか。

たまたま医学部を卒業して8年ぐらい経った時に、医局から外で勉強してこない?という話が来た。それまでも、国内でも私はどこに行かされてもゴネないから、医局から東京以外にも色んなところに行かされていた。その中で海外の話も出てきたという感じ。ハーバードやリバプールなど4箇所から好きなところを一つ選んでいいよって言われて。

——いわゆるエリートコースにのせるためですね。そこでは名門ハーバードを選んだんですか。

まぁ、エリートかどうかは自分では分かりませんが、即決でイギリスのリバプールを選んだ。

——え、ハーバードではなく、リバプールを選んだ理由は何ですか。

ビートルズが好きだから。本職はミュージシャンですから(笑)。

2 street

“名医街”と名高いハーレーストリートに伊藤医師のクリニックはある

イギリスとエジプトでの日々

初めての海外が大ファンのビートルズゆかりの地だなんて最高だと思った。ハーバードの名前は知ってたけど、どんな大学かもよく分からないレベルだったし、当然私の中ではビートルズが勝った。

——まさか、ビートルズがきっかけでイギリスでのキャリアが始まったなんて(笑)。実際、リバプール生活はどうでしたか。

32〜35歳までの3年間いたのですが、人生観が変わった。

日本にいた時は朝6時から夜11時過ぎまで病院にいて、研修医の頃はもっといて、うちに帰るのは月3回ぐらいだった。当時はサービス残業が普通だったし、病院に泊まって、いつでも学べる方が楽だった。周りもそんな感じで、ハードワークが美徳とされた時代だったんですよ。辛いけど、私には合っていた。カルテを書くのが個人的に好きじゃないので、忙しく動きまわる方がよかった。救急救命で走り回ってる方が楽だと思った。

でも、イギリスでは朝の9時から始まって定時の5時には帰れる。それまでの自分の価値観ではありえなかった。時間になれば、次のシフトの医師が来て突然担当が変わっても、患者も納得している。日本の忙し過ぎる生活も嫌いではなかったけど、こっちに来て人間らしい生活を知った。日本では趣味の音楽は忙しい中で時間を作って楽しんでしたけど、イギリスではより自分の時間がもてた事は大きかった。

だって、人間らしくいられない医者が人間である患者さんをきちんと診る事なんてできないでしょ?

——確かに。一度自分の医師としての生活を見直す事ができたんですね。イギリスで過ごした3年間の後はどうしたんですか。

今度は、エジプトに行くように言われて行きました。エジプトでは、教える立場だったけど、これがなかなか辛かった。

例えば、明日0時に集合するようにと私が言うと、エジプトの医師達は「イエス」とは言わない。「イッシャラー」と言われるんですよ。「神のご加護次第」という意味。つまり、神がそう仕向ければ行くけど絶対来る保証はない。で、本当に確実に来るとは限りません。実際来ない時も多々あった。神が来るように仕向けなかったんでしょうね(笑)

また、朝から仕事をはじめて午後1時には皆帰ってしまう。理由は暑いから。イギリスにいた時よりも短い仕事時間で、正直仕事にならない。違う意味で異文化を楽しんでいたけど、体調を崩して1年で日本に帰ってしまいました。

——イギリスの次はエジプトに行かれたんですね。どんどん緩い時間配分になって、日本に帰った時には逆にカルチャーショックはなかったんですか。

当然、久々に日本に帰って違和感はあった。元の生活に戻って、嫌ではないけど他に選択肢もないから、しょうがなく順応していった。

日本で働いて3年経った頃にイギリスの病院からオファーをもらったので、再び渡英しました。今度は、ロンドンのプライベート病院で専門のペインの治療(※神経ブロック療法や薬物療法などの様々な方法を用いて、有害な痛みを緩和する治療)をしていた。

患者1人に対して最低1時間の診療時間

——再び、イギリスに戻った事でここからハーレーストリートの開業を考え始めたのですか。

あまり深く考えていなかったけど、ビザを更新していたら、気づいたらイギリスでの永住権をもっていた。日本に帰る理由もないし、イギリスでの自由度はあがって行く、という感じでした。

もともと、僕は何かに縛られるのが嫌いなタイプ。日本でもイギリスでも病院には時間の制限がある。1人の患者さんを診る時間が限られるのがイヤで、なんとなく開業を考えはじめた。

例えば、イギリスでは患者とのコミュニケーションを大事にしているけど、効率のためにNHS(国営医療サービス)では、4時間ルールというのがあって、診察から入院決定までの診療プロセスを4時間以内に決めなくてはいけない。そうなると、患者とのコミュニケーションは病気についてのみで、人間としてのコミュニケーションがほとんどできない。

——なるほど。もっと患者とのコミュニケーションをするためには開業しかないと。

そう。「時間が来たから次」というのが、私は好きじゃない。個人的な考え方だけど、自分が診た患者さんは最後まで面倒をみたい。当然、専門外の病気など手に負えない時は別ですが。

特に、ペインの場合は検査以外にも心理的な要素がとても絡んでいる。痛くなくても心理的な問題で痛く感じる事もある。レントゲンや血液検査などで問題がないから、患者さんが痛いと訴えるのは間違い、とするのはおかしい。患者が痛いというのなら「痛い」ということを前提に話をすすめなくてはいけないと考えています。

その人が精神的に病んでて痛いのかもしれない。それは患者との普通の会話でしか探れない。そうなると10分の診療じゃ絶対に無理。だからこそ、自分のオフィスを持たなきゃと思うようになった。

なので、今当院では、患者1人に対して最低1時間の診療時間をとっている。1日に診れるのは5〜8人がやっとですが。

——最低、1時間も。実際、ハーレーストリートに来る患者さんはどんな人が多いんですか。やっぱり富裕層ですか。

場所柄、世界中の富裕層が集まっているのは事実ですね。当院も日本人はもちろん、ヨーロッパや中東からの患者さんも多い。エジプトで身につけた少しのアラビア語が役立つ時もある。

——日本とイギリスの両方の医師免許をもつ人は世界でも少ないので信頼感は大きそうですね。

日系のクリニックはロンドンにもいくつかあるけど、だいたいの日本人医師は海外で日本人しか診られない特殊な免許をつかって仕事をしています。なので、確かに日英両方の医師免許を持つ人は数人しかいないので、珍しいというのはありますね。

——特殊な免許があるんですね。やはり、他国の医師免許取得はハードルが高いのでしょうか。

確かにイギリスでの医師免許取得は、大変。何が大変ってやっぱり英語ですよ、英語。英語の試験を高水準でクリアして、初めて医師免許試験を受けられる。大学受験以来、英語をほとんど勉強した事がなかった私には辛かったですね。逆に医療知識は世界共通なので言語の壁をクリアすれば、それほど大変でもない。

いずれにせよ、イギリスの医師免許取得はこちらの病院で働くためには避けられない。開業前にハーレーストリートのプライベート病院で経験を積めたのも、イギリスの医師免許がある事が大前提だったので。

———色々免許取得など大変な苦労もあったと思いますが、順調な流れで名医街のハーレーストリートとは開業前から関わっていたのですね。

はい。でも、順調かと言えば、どうでしょう。実はあまり話したくないのですが、イギリスの医師免許を停止されるという絶対絶命の状態に40代の頃に陥ってしまって。
(撮影:Joseph Ledsam)
(後半に続く。)