プロ経営者という働き方

経営者の役割は社員の目指す目的地を伝えることだ

冷凍食品「京食」、再建請負人になった元商社マン

2014/10/29
世の中の「経営者像」が、変わろうとしている。「社長」といえば、自社で数10年勤め上げた人物が就任するもの、または親会社の役員が子会社の経営を任されるもの、といった暗黙の了解があった。しかし最近では、アップルでイメージ戦略を成功させたあとマクドナルドの業績をV字回復させベネッセコーポレーションのトップになった原田泳幸氏や、三菱商事からローソンを経てサントリーHDのかじ取りを任された新浪剛史氏など、いわゆる「経営のプロ」がトップとして招聘される例が増えている。今、なぜ、彼らのような役割が求められるのか? 連載第5回目は、冷凍食品メーカー「キンレイ」で冷凍うどん事業を立て直した徳山均氏にスポットを当てる。
プロ経営者5回

株式会社KRフードサービス 取締役会長 徳山 均氏

アルミの容器に入った冷凍の鍋焼きうどんをご存じだろうか。スーパーやコンビニで売っていて、容器ごと直火にかける商品だ。

主要メーカーは「キンレイ」。だが、同社の鍋焼きうどんの事業は、長い歴史と相当な知名度を持ちながらも、一時期社内で「劣等生」と呼ばれるほど利益が出ていなかった。

しかし近年、これが変わった。

トップが代わって以来、業績は急伸し、いまや利益は倍増、商品はセブンイレブンの店舗に欠かせない人気商品にもなっているのだ。

当然、株主の評価も高く、その後、同事業は月桂冠(京都府)が買い取っている。

この変化をもたらした経営のプロの名は、徳山均氏。彼は、どんな魔法の杖を振ったのか。

「前向きに、前向きに」

その業績を分析するにあたり、徳山氏の経歴と、パーソナリティについて先に伝えたい。

取材を通し、「経営のプロ」の成否は、その人間性に深く依存しているとわかったからだ。

徳山氏は滋賀大学を卒業し、新卒で大手商社へ入社した時期のことを懐かしそうにこう振り返る。商社では、世界中を回って日本へ輸入するエビを調達していた。

「じつは結婚するときも、アフリカのナミビアで、伊勢エビを破れにくいパッケージで包装する仕事に取り組んでおり、日本に帰ってきたのは式のたった3日前だった。妻には迷惑をかけたが、お詫びに結婚式で、そのイセエビを出しましたよ(苦笑)」

徳山氏のモットーは「前向きに、前向きに」。

海外でビジネスをすると、常に高品質を求める日本市場の特徴を理解してくれる現地の取引先にそう簡単に出会えるわけではない。

「そういう時は、日本の事情を詳しく、粘り強く説明するしかない。思い出深いのは、31歳のとき、アルゼンチンの南氷洋で、天然赤エビの生産指導をしたときのこと。冷たい海で一緒に作業し、ときには船酔いになり、仲間にそのことをからかわれながらも働くうち、すばらしい仲間に恵まれたことです」

徳山氏の品質へのこだわりはアルゼンチンの仲間に伝わり、最初の商品は、「最高の品質だ」と自信満々で日本へ出荷できるほどだった。

ところが、その赤エビが船便が日本に着くと、取引先から「白く変色している」とクレームを言ってきた。

「真っ青になるほど焦った。でも、私はあえて笑ってみせた。彼らが不安になるような表情は見せたくなかったし、彼らを信じていたので。すると数日後、日本の上司が『いままで徳山が自信をもって送ってきたものが悪かったためしがない』とすぐに原因究明をしてくれ、運搬中の事故だったとわかった。ああ、笑ってよかったな、と思いましたね」

海外経験のあと、国内で課長代理になったときは、のちに社長となる人物とともに仕事をする機会も得た。

「彼は、そのとき既に合成樹脂の会社を建て直した経験があった。そして、私にこの時の経験を語ってくれ、会社の再建には『変えよう、変わろう、変わったか』という標語が有効だと教えてくれました」

トップが変えようとする、次第に周囲が変わり始める。そののち、本当に会社は変わっていく、といった意味だ。

前回までの連載で、日本を代表する人材コンサルがそれぞれ、経営のプロの要件を話してくれた。

なかでも、彼らが口をそろえていたのは「若い時期、寝る時間もないほど仕事に打ち込む」「修羅場をくぐる」「トップは、トップの薫陶によって育つ」の3点だ。

徳山氏は仕事に打ち込むうち、この3つを自然と経験していたと言えるだろう。

企業には、必ず「力」がある

そんな彼に転機が訪れたのは2004年のことだ。

ファンドにヘッドハントされ、再生の第一号案件として「京食」の社長に就任した。

京食は、昭和の時代から「くじらのベーコン」などで知られ、売り上げを伸ばしてきた企業だった。しかし、外圧によって捕鯨が産業として成立しなくなり、業績が急落。

首脳陣は慌てて鮭の缶詰の生産などに活路を見出そうとしたが、業績悪化に伴い社内モラルが低くなり、商品の生産現場での管理が甘くなり、品質が落ちた。

その後、赤字が続き、同社は2002年に民事再生法を申請。ここに、徳山氏が社長として就任した、というわけだ。

「転職は賭けでしたよ。しかし、私は商社時代、多様な仲間と働く経験をし、かつ先輩が企業を立て直す様子を見てきた。そこで、自分自身も挑戦してみたくなったのです。また『わたしならできる』という思いもありました」

余談だが、テニスの錦織選手が全米オープンの準決勝終了後「私を簡単に負かせる相手はいない」といった言葉を口にした。

彼はビッグマウスのタイプではない。マイケル・チャンコーチの厳しい練習に耐え、実績を積み、彼はいつしか「できる」という確信を持つに至っていた。

同様に、海外で事業を軌道にのせたなど様々な経験は徳山氏に「できるはず」という、成功者のメンタリティを与えていた。

社員は同じ船に乗る仲間

ここで、徳山氏に、実施した施策を具体的に聞いた。

一つは、同じ会社で働く仲間に、具体的な目標と明確な“目的地”を示すことだ。

「組織は、一人でも『何で自分がこんなことをしなければならないのか』とか『むなしいなぁ』なんて不満を持っている人がいたらダメ。そうした不満因子を作らないためには、具体的な目標を決め、みんながこれを実現することが必要」

徳山氏は、同じ会社で働く仲間は、「同じ船に乗る仲間」だと表現する。

「船員達が、別々の方向へ行きたがっている船が目的地にたどり着くことなどできない。その意識を徹底的に、社員達に話しました」

具体的には、まず、社員達に「今度の社長は品質がよいものを生産すれば喜んでくれるんだ」との共通認識を持ってもらうように務めたと言う。

よりよい品質を実現するアイディアが生まれたら、それに対して徳山氏は手放しで喜ぶ。さらに、それが実現できたらもっと喜ぶ。

こうして、「品質向上」の流れに勢いを付けていった。

その過程で、以前の生産部長は、いたたまれないと思ったのだろうか。「ついて行けない」と退職していった。

一方で、工場は一目見ればわかるほど、清潔になり、スタッフが定められた作業を正確に行うようになっていった。

「もちろん、人事にも手を付けた。品質保証部にやる気がある若手社員を見つけたので、彼を部長に抜擢しました。パレートの法則の通り、どのような組織でも、2割は必死で動いている。そして、残りの8割は、この2割に引っ張られて動き出す。私はその最初の2割を見つけ、ボトムアップしていく仕組みを創り出したのです」

従業員の共感を得るため、不満はすべて聞いた。

何を言われても、頭ごなしに「何を言っているんだ!」「バカなことを言うな」といったコミュニケーションはとらず、まずは社員達の意見をすべてを受け止める。

その上で「社長」というすべてが見渡せる立場でなければ見えないことを説明し、部下を説得した。

「社員と一緒に会社を建て直していく、という姿勢を明確にしたのです。すると、より生産の質が上がり始めた。企業には、必ず『力』がある。社員はそもそも、みんなが『もっとよい会社にしたい』という思いを持っている。私は、その力を引き出し、活用できる組織にしたのです」

驚くのは、徳山氏は、このとき共に仕事した当時の従業員と、いまだ親しくしていることだ。

「京食の社長や他社の幹部となった当時の部下たちが、よく私のところに訪ねて来てくれる。品質保証部長に抜擢した当時の若手は業界他社に移り、部長として活躍しているが、彼も東京に来た時は、必ず会いにくる」

プロ経営者といえば、「一時的な社長」「時限装置付き役職」といったイメージがあるが、徳山氏のように会社に全力でコミットする経営者は、退任後も従業員にとって、自分たちや自分の会社を変えてくれた存在として忘れがたい存在になるのだろう。

そして、徳山氏の運命も、この成功をきっかけに変わっていく。(次週に続く)

※本連載は毎週水曜日に掲載します。