地方に残る「自称進学校」はムダ学習の温床だ
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納得する点が多々ありますが、学校を受験対策の場とだけ捉えるのはいかがなものでしょうか?最短距離でない学びにも価値があると思います。
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これまで200校くらいに足を運んできた。その際に「授業や学校に通う目的ってなんだろう」と生徒たちに必ず聞くようにしてきた。「友達と会える」以外に明確な回答をもらったことはほとんどない。
それくらい「学校」での取り組みの目的意識が子どもたちに伝わっていないんだと思う。補講学習などは目的が明確であれば良いんだろうけど、おそらく学ぶ目的や進学意志などを確認せずに半強制的にやらせているんでしょうね。
それは、ムダになりますね。九州出身者としては「なかでも九州は突出した『自称進学校王国』として有名です」という箇所、共感するところもあり、なんとも複雑な気持ちです苦笑
それはそうと、今後この議論のポイントは「個別最適な学習」なのかという点に尽きます。
先生が良かれと思っている授業や進路指導は、それぞれの生徒にとって本当に合ったものなのか。成長を引き出すことができているのか。そこを改めて再点検頂きたいと思います。
結論として、自称進学校がやっているような一斉一律指導では、受験の結果を出すという点でも、個別最適な学習にはなっていません。
また、本人の志望やキャリアなど関係なく、医学部や近隣の国立大学を最優先で推奨するような進路指導が最善解であるはずがありません。
生徒のウェルビーイングの観点からも、そういった負の遺産がこの機会に見直されていくことを願います。戦前から伝統を持つ名門私立男子校などは元々の進学実績が良く生徒を拘束する必要がないため、子供に自由を与えることで知的好奇心を育ませるレッセフェールの精神を体現していると思います。確かにこうすることは諸刃の剣ではありますが、学校が生徒を信頼して自由にすることがもたらすメリットは計り知れないと考えます。学校の絶対性を振りかざし、同調圧力によって何もかも拘束するのは、生徒の主体性や可能性を食い潰します。私の母校も自称進学校(???)という感じだったのでとても息苦しかったです。
「私立大文系を受験する生徒にも数学の授業を最後まで受けさせたりするなど、本来であればやらなくてよいことまで踏み込み、強制してくるのです。」とありましたが、私もこのケースでした。AO入試を経て、今所属している学部学科に高校三年生秋の時点で合格していたためセンター試験の勉強など不要だったため、当時関心のあった法律やフランス語の勉強をさせてほしいと丁重に申し出たところ、モラハラ・パワハラまがいの言葉を交えながら「自分の言っていることを分かっているのか。絶対的な学校のルールを度外視するな。あなたのような前例がないケースは悪です。周りの生徒にどうして気が使えないのか」と当時の生徒指導担当教員らから執拗に脅されていました。そのことが理由で、卒業式までの期間は精神的苦痛に苛まれていたので辛かったです。早朝の「ゼロ限」も懐かしいですね。高校生の頃は毎日5時間未満の睡眠でとてもしんどかったです。
余談ですが、そんな中でも何とか卒業するまで頑張れた理由には、理解のある稀有な恩師らが支えてくれたいたからです。強権的な学校の在り方に対して違和感を共有していた彼らも結局学校組織に馴染めず、勤務先を変えたりしています。中には一方的に首を切られたという声も聞いていたため、何かがおかしいよなと常々感じながら過ごした高校時代を思い出しました。
日本の教育現場には、このような自称進学校の犠牲になっている生徒がまだまだ多くいるでしょう。なんとかして変えていかなければならない重大なテーマですよね。