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〈グローバル教育 政策を読む〉データ編(中)暗記型、国際化と隔たり

日本経済新聞
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    ・「言われたことしかしないという日本教育の象徴が暗記、記憶中心の『インプット教育』だ」

    様々なメディアで取り上げられている日本型教育(=インプット教育)であるが、私もインプット重視の教育には反対である。

    高度経済成長期は、日本の産業は成長著しく、どの企業も生産性を高めることが最重要課題であった。その場合、作業を定型化し、繰り返させることで効率があがる。つまり、決まりきった業務を従業員にインプットし、それを続けさせることが、最も業務効率が高かったのだろう。
    どの企業も正確に「インプット」ができる人材を求めるので、それに合わせて学校教育の制度設計が構築されたのではないか。


    しかし、現代ではむしろインプットされたことだけをやるのではなく、「自分のアタマで考える」ということが重要視される。そのため、21年度から共通試験として、考える力が問われることとなった。

    そもそも私は、"考える力"こそが幸せを感じるために重要だと考えている。人生は決断の連続である。その決断に対して、誰かに意見を求めるということは、自分で考えることを放棄している。
    人生の重要な決断を自分のアタマで考えること無く、他人に求めてもし失敗しても、誰も責任をとってくれない。自分自身としても納得が行かないだろう。

    しかし、自分のアタマでとことん考えて、納得した決断であれば、失敗したとしても自分の中に学びや教訓が残る。成功すれば、自分の自信になる。

    自分の人生は自分自身でコントロールしているという、この「支配感覚」こそが、幸せを感じるためには必要であり、そのためには自分のアタマで考える力が必要になる。

    なので、インプット重視の教育ではなく、自分のアタマで考えさせる余地がある教育制度設計に私は賛成する。

    ※ただし、ある程度の基礎知識はインプットしなければならない。引き出しが少なければ、狭い選択肢をもとに思考をするしかないので、思考が深まらない。だからこそ、センター試験のような形で、基礎学力を測るのは、良いと思う。


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