序列が衝突を生む
日本代表は18年前から進歩していない
2014/10/23
ブラジルW杯で日本代表は選手間で戦術の意見が分かれ、それが敗因のひとつになった。他国ではほとんど見られない現象だ。なぜ日本は選手同士で議論が起こってしまうのだろう。
W杯直前の意見の食い違い
――NewsPicksの「サッカー日本代表ベスト8への道」という連載で、ブラジルW杯の敗因検証を始めました。そこでいずれ取り上げる予定なのですが、ブラジルW杯前に「どこからプレスをかけるか?」について、日本代表の選手間で意見が分かれたそうです。GK川島永嗣は失点を防ぐためにDFラインを下げてしっかり守ろうと。それに対して本田圭佑らが前からボールを奪いに行くべきだと主張した。結局、コートジボワール戦で敗れたことを受け、前から奪いに行くことになったそうです。
「ファンがそうだから仕方ないのかもしれないけど、なんかそういうフォーメーションとか、やり方の議論が好きね、日本は」
――僕も好きなので反論できないんですが、2006年W杯のときもプレスをかける位置について選手間で議論が起こりました。2002年W杯でも宮本恒靖さんを中心に3バックで話し合い、トルシエ監督のやり方を大会中に修正した。大会ごとにDFラインの高さの議論が起こる印象がある。この問題を本田圭佑にぶつけたんですが、「それがサッカーでしょ」と返されて、まだ答えを引き出せていません。
「彼が何を言いたいのかは分からないけど、でもさ、前から行こうか後ろから行こうかっていうのはさ、俺が18年前に書いた物語じゃない?」
――そうでしたっけ。
「アトランタ五輪の話」
――あぁ、そうでした! 1996年のアトランタ五輪で日本はブラジルに初戦で勝利しながらも、攻撃陣と守備陣の意見が分かれてしまい、その歪みが第2戦のナイジェリア戦のハーフタイムに表面化したと。
「進歩していない。日本サッカー界が進歩していないことにちょっとがっかりする」
野球文化が生んだ序列意識
――2010年W杯はDFラインを極めて低く設定したので、迷う余地がありませんでしたが、判断の余地があると意見の衝突が起きるという構図は、すでにアトランタ五輪のときにあったんですね。
「他の国でそんな話、聞いたことないでしょ?」
――選手間で戦術を議論してもめるという話は、他国では聞かないです。
「以前スポニチのコラムにも書いたんだけど、野球で『ライパチ』って言い方あるでしょ」
――ポジションがライトで、打順が8番の略ですね。
「この言葉って、福沢諭吉の『天は人の上に人を造らず』とは反対で、ポジションの上にポジションがあるってことじゃない? ポジションに優劣がある。野球においては打順も4番が一番大事で、8番、9番は……」
――ヒエラルキーがありますね。
「これはアメリカを含めて、野球文化圏にどっぷり使った国にしかない発想だと思うのよ」
――それがサッカーとどうつながるんでしょうか。
「ドイツだったら、サイドバックだからといって下に見られない。けれど日本は、ポジションによって優劣がある。前か後ろか、中央かサイドかっていう分類でね」
サッカーは全員が主役でないと組織として弱い
――確かに日本では、サイドバックは脇役という印象があります。
「これは連載第1回の誰をキャプテンにするかという話にも関係してくるけど、1978年W杯のドイツ代表のキャプテンは誰か知っている?」
――サイドバックの……。
「そう、ベルティ・フォクツ。2002年W杯のイタリアのキャプテンは? マルディーニだよね」
――日本では長友佑都がキャプテンマークを巻いたこともありましたが、一般的にはサイドバックは脇役というイメージがあります。
「サイドバックの選手が『自分は脇役だから』っていう集団ではやっぱり勝てないよ。全員が主役になるつもりじゃないと」
――確かにそうです。
「サッカーには、打順なんてものはない。サッカーはいつでも自分で打順に立てる。もちろんチーム内に序列はあっていいけど、それはパーソナリティーによる序列であって、ポジションによる序列では断じてない」
――話を戻すと、ポジションの序列が、プレスの位置の議論に影響すると。
「アトランタのときからそうだけど、ディフェンスの選手の方がメディアでの発言権が弱い。美味しいところは前の選手が持って行って、後ろは縁の下の力持ち。こういう歪な構図が立場の差を作ってしまい、意見の食い違いを大きくしてしまっているんじゃないかな」
*本連載は毎週木曜日に掲載する予定です。