2022/2/10

【静岡】旅館のおかずが新たな収入源に。“大ヒット”の理由

ライター、元朝日新聞記者。
デジタルトランスフォーメーション(DX)なんて、うちのカイシャには関係ないーーなんて思っていませんか?

いえいえ、コロナでの窮状をバネに、これまでECとは縁遠かった「地方」「小規模」「シニア層」が、EC市場に参入しています。

専門家ではないけれど、まずは手を動かしてデジタル化に一歩近づく。そんなストーリーをお届けする「隣のカイシャのDX」。

今回は、伊豆の「食べるお宿浜の湯」(静岡県東伊豆町稲取)、「金目鯛の姿煮」の物語です。2020年春、新型コロナの影響で、浜の湯もピンチを迎えました。彼らを救ったのは、宿の名物料理。インターネット上で売り始めたところ、10日間で1000匹を完売しました。

旅館の「資産」が、“グルメEC”と結びついた時、どんな看板商品に化けたのでしょうか。
この記事はNewsPicksとNTTドコモが共同で運営するメディア「NewsPicks +d」編集部によるオリジナル記事です。NewsPicks +dは、NTTドコモが提供している無料の「ビジネスdアカウント」を持つ方が使えるサービスです(詳しくはこちら)。
INDEX
  • きっかけは一本の電話
  • 稲取キンメという「資産」
  • 旅館は「質の高い工場」
  • 副業の価値
  • 「いいな」から「いいね!」で売れる時代へ

きっかけは一本の電話

海際に立つ浜の湯(静岡県東伊豆町稲取)・浜の湯提供
2020年3月、浜の湯の鈴木良成(よしなり)社長は頭を抱えていた。緊急事態宣言が出るといううわさが広がり、宿泊予約のキャンセルが相次いだためだ。
1969年創業の浜の湯は客室50室、従業員80人。営業が止まれば、施設の維持費や人件費が、すぐに大きな負担となる。
そんな折、鈴木さんに一本の電話がかかってきた。数年前、旅館のフェイスブックのページを作ってくれた篠塚孝哉さんからだった。
篠塚さんは、2011年に宿泊施設の予約アプリなどを運営するLoco Partnersを創業。2020年3月で同社の代表を退任し、お世話になったお礼の電話をかけた先の一つが「浜の湯」だった。
鈴木:篠塚さんから「お世話になった旅館に恩返しをしたい。金目鯛の煮付けを友人に配るので、10匹ほど売ってもらえませんか」と言われました。ありがたかったです。
浜の湯の看板料理「金目鯛の姿煮」=浜の湯提供
篠塚さんは知人に配るうち、窮状に陥った旅館を継続的に支援する方法を思いつく。どの旅館にも名物の料理や土産物がある。それを集めたセレクトショップをオンラインで立ち上げ、物販という方法で新たな収入を生み出せないだろうかーー。
浜の湯の場合、それが「金目鯛の姿煮」だった。

稲取キンメという「資産」

伊豆半島の東側、相模灘に面した稲取は、金目鯛で有名だ。一本釣りによる漁獲量は県内1位。鮮度がよく、首都圏の市場でも「稲取キンメ」として高値で取引されている。
稲取で盛んな立縄釣り(一本釣り)=浜の湯提供
浜の湯の夕食の看板メニューも40年ほど前から、この「金目鯛の姿煮」だ。
一匹800gほどの魚を大鍋で30~50匹まとめて煮る。互いの脂が絡み合った、濃厚なうま味。
鈴木:漁師が作ってきた昔ながらの「郷土料理」。普通は、品良く薄味で煮つけますが、うちは真逆。甘辛い、強烈な味です。旅館のリピーターの大半は「また食べたい」と来てくれます。
食事のシメに、甘辛い秘伝のタレを白いご飯にかけて食べるのも醍醐味だ。
煮汁をかけた白飯も宿泊客に人気=浜の湯提供
浜の湯は、この金目鯛の姿煮を、夕食のほか、宿泊客の土産用に旅館の売店でほそぼそと売っていた。
2008年のリーマンショック以降は、宿泊客が減った穴を埋めようと、旅館のホームページでオンライン販売も始めた。しかし、大した宣伝をせず、支払い方法にカード決済を入れなかったこともあり、年10~20尾ほどしか売れなかった。
鈴木さんは、何もしていなかったわけではない。旅館のホームページがもっと検索で引っかかるよう、SEO対策を学ぶ講習に20日間ほど通ったこともある。だが、なかなか通販の成果は上がらなかった。

旅館は「質の高い工場」

鈴木さんへの電話からほどなく、篠塚さんは「地域のごちそうが食卓で食べられる」というコンセプトの通販サイト「TASTE LOCAL」を立ち上げた。スタート時の店舗数は10店ほど。その中に、浜の湯の「金目鯛の姿煮」も入っていた。
鈴木:スピード感がすごかった。4月上旬に誘われて、4月20日ごろには爆発的に売れ始めた。緊急事態宣言が発令されて、4月半ばから2カ月ほど旅館は休業しましたが、姿煮の売り上げは4月半ばからの2カ月間で2000万円を超えました。
浜の湯の鈴木良成(よしなり)社長
TASTE LOCALが、通販サイトの設立を急いだ理由は二つある。一つは、経営に苦しむ宿泊業者の負担をいち早く軽くすること。もう一つは「コロナ禍の救済ビジネス」の先駆者となり、注目を集めること。その結果、テレビにも取り上げられた。
TASTE LOCALの事業責任者・篠原諒さんは「多くの人が旅行に行けず、うずうずしていた。宿泊業界も困っていた。そんな中、その土地に行かなければ食べられないごちそうがネット経由で注文できて、旅館も応援できるという点が、大きなムーブメントになった」と振り返る。
TASTE LOCALの事業責任者・篠原諒さん
突然の大量注文だったが、従業員が朝から晩まで調理や配送のローテーションに入って乗り切った。「金目鯛の姿煮」は2020年のTASTE LOCALの売り上げ総合ランキングで第1位に。コロナ禍で、他の旅館は従業員の給料を大幅にカットせざるを得ない中、浜の湯の調理人たちは、ほぼ通常通りに働くことができたという。
姿煮を大鍋で煮付ける調理人=浜の湯提供
旅館には、ECに対応できる体制という資産がある、と篠原さんは強調する。
篠原:旅館は「質の高い工場」といえます。調理場も調理人も看板料理も、おもてなしの心もあります。浜の湯さんには、巨大な冷蔵庫や姿煮専門のスタッフまでいました。中でも最大の資産は、普段は接客で忙しいスタッフがコロナで持て余していた時間です。彼らが通販の梱包、配送をしたので、急な発注にも応えられました。
もう一つ、大事な資産があった。「保健所の許可」だ。
通販で食品を販売するには、さまざまな申請が必要だ。浜の湯の場合、2008年に自社で通販サイトを作った際に許可を得ていた。宣伝用の商品写真もそろっていた。前回の経営危機でそろえていたものが迅速な出店につながった。
鈴木さんによると、ほかの旅館も1カ月半遅れで、金目鯛の煮付けの通信販売を始めたという。
予想外の収穫もあった。通販サイトでヒットしたおかげで、コロナで出荷先を失っていた稲取のキンメを、浜の湯が引き受けることができたという。
市場に揚げられた稲取キンメ=浜の湯提供

副業の価値

TASTE LOCALに出店して1年半近く。浜の湯のオンライン販売の売り上げは今、月35万~45万円ほどで推移している。年換算で400万~500万円になる。姿煮のおいしさを知った人たちが、新たに泊まりに来てくれるケースも増えているという。
TASTE LOCALの篠原さんは、宿泊業のみに頼ってきた旅館の新たな収入のチャンネルとして、物販の重要性をこう説明する。
篠原:一般的に宿泊業界は、年間100~120日程度の「繁忙期」が売り上げの中心で、残りの約240日はお客様が来ない前提で経営しています。そこにコロナの打撃が来ました。人件費や電気代などの固定費がかかるので、営業が止まった瞬間から赤字に転じます。お客様が来なくても売り上げになる物販は、経営上、重要な位置を占めていくと思います。
浜の湯の次の課題は新商品の開発だ。金目鯛のしゃぶしゃぶ、アワビの酒蒸し焼きなど、夕食で出している5、6種類を新商品として売り始めている。だがまだ、金目鯛の「ついで」程度の売り上げにとどまっているという。
鈴木:第二の名物料理がないと、旅館が通販でもうけるのは難しい。それに通販は味見ができません。宿の料理を宿泊客がおいしいと思わないと売れないので、簡単にアイテム数を増やせないところが悩みです。

「いいな」から「いいね!」で売れる時代へ

コロナがきっかけで、ECに参入してきた事業者たち。また、その受け皿となるプラットフォーム。これまでのECと、何か違いはあるのだろうか。
個人や中小事業者のデジタル化を支援する「hey」(へイ)が運営するネットショップ「STORES」への食品関連の出店数(2020年4-6月期)は、2019年同時期の13倍に。コロナを受けて新たな参入者が急増したという。
ネットショップ「STORES」のサイト=hey提供
同社CPO(チーフプロダクトオフィサー)の塚原文奈さんはこう見る。
塚原:それまでECとは縁遠かった、地方、小規模、シニア層の出店者が確実に増えています。

売れているのは、きれいなものというより、驚かせて注目を集めるもの。例えば、岡山市に本拠を置く「NATIONAL DEPARTMENT STORE」が作る「食べるバター」は半年待ちの人気です。長崎県東彼杵町で夫婦が営むパン屋「ちわたや」の「茶バター」も人気です。
「食べるバター」と「茶バター」。いずれもSTORESのサイトから
塚原:地元客を相手にこぢんまりとお商売されてきたようなお店の、意外性のあるおいしい商品が注目を浴びています。消費者は本当に欲しいものは待ってでも買うんだ、と私も驚きました。
大手ECプラットフォームのような「翌日配送」や「送料無料」といった利便性を追求しなくても、オンライン販売の実績が乏しくても、消費者のニーズにハマれば、売り上げを伸ばせる時代になったという。
TASTE LOCALの篠原さんも、販売者と消費者の変化をこう見る。
篠原:どこでも売っているジャムやご飯のお供などは、逆に売れません。実在する旅館や飲食店で「ごちそう」として提供されているものが売れています。

「妻と訪れたスキー場で食べた牛タンのシチュー」「家族旅行の思い出を親へプレゼント」など、思い出と商品を結び付けて買う人もいます。

最近、TASTE LOCALでヒットしたのは宮古島の8棟のみの高級ヴィラで出している「バスクチーズケーキ」でした。

有名ブランドの高級品ではなく、生産者のこだわりや入手のしづらさなど、別の価値を持つ商品も人気を集めています。
篠原さんは、買う動機が「いいな」から「いいね!」に変わってきたともいう。
篠原:これまでは質の良いものが売れていましたが、最近は出品者の考えに共感できるものが売れています。「いいな」より、「いいね!」「わかる」という感覚です。

金目鯛の姿煮が売れた背景に「困っている事業者さんを助けよう」という思いがあったように、お客様が販売者のコミュニティの一員になれたという感覚が大切になってきています。コロナでSNS上に広がった「事業者のSOSに応えたい」というムーブメントは落ち着きました。今は、純粋に商品の価値を磨く段階に入っていると思います。
(※NewsPicks +dの詳細はこちらから)