【猪瀬直樹】石原さんの本質は「クリエイター」だ
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クリエイターということで少し付け加えます。2007年4月、石原さんが3期目に当選した直後、電話がかかってきた。連休明けに赤坂の料亭でお会いすることになりました。
僕は三島由紀夫を話題にして一杯やるのかなと思って気楽な気分で出かけた。
女将さんから大きな部屋に案内されます。5、6人来るのかな、僕はいちばん早くきたのだな、と思って黒光りする横長のテーブルの真ん中にポツンと坐っていると、石原さんが現れました。
「あれ、他の方は?」
「いや」
少し照れている。
「猪瀬さん、副知事をやってもらいたい」
両手をテーブルに置き、いきなり頭を下げた。
一瞬、呆然としていると、
「作家を続けながらでいいんです」
公務員の給料では収入が激減してしまう配慮なのかなと思うとそうではなく、まさにそこからは作家同士、クリエイターのあり方に踏み込む話になったのです。
「僕はこの仕事(都知事)をやっていて、テーマが7本も閃いたんだよ」
そこは僕もピンと来ました。僕はのち2020年にNewsPicksパブリッシングから『公(おうやけ)』という本を出しますが、「私の営み」のみを描く日本のこれまでの作家のあり方に疑問を呈していたからです。背景に「公の時間」がなければならない。日本ではなぜか芸術は現実世界と一線を画した場所で産み落とされるべきと妙な不文律があるからです。そんなのは嘘だ、狭い閉じた場所にいて力んでも決してクリエティブにはならない。
「猪瀬さんなら、わかるだろ?」
「わかります」
僕はその言葉で副知事を即座に引き受けていました。
写真説明。清水谷公園の樹木を伐採するのをやめさせ参議院議員宿舎の建設を中止させた。しかしそこが都議会のドンの選挙区であることに僕は気づいていなかった。
注目のコメント
小説家や詩人が政治家に転身する、というのは、それなりに例のあることです(画家や作曲家は、向いていない人が圧倒的に多いです)。
フランスの文化大臣だったアンドレ・マルロー、イタリアでファシズム運動の先駆者だったダヌンツィオ、チリ共産党の議員でアジェンデ政権と生死を共にしたパブロ・ネルーダなど、20世紀を代表する文学関係者だけでも多数の例があります。毛沢東なども、政治家の方が本体でしょうが、20世紀の中国を代表する詩人として通用します。
日本の場合、作家というのはサナトリウムとか新宿や銀座のバーに生息しているものと思われていて、政治に乗り出した例は少ないです。石原氏は、数少ない例外だったといえるでしょう。
もう1人、三島由紀夫がいますが、彼がやりたかったのは国会議員ではなく、石原氏は議会と選挙にある程度適応した小説家兼政治家といえるでしょう。石原氏の初当選後は、三島由紀夫との交友はほぼ絶えました。
1950年代から小説家として、「裕次郎の兄」としても知られた人でしたが、60年代の後半に国会議員になりました。
ノンポリだった人がいきなり政治家に転身した、というわけではなく、たとえば1965年にベ平連が発足した時には、中心的な位置にいました。もともと政治学者の高畠通敏などがやっていたもので、党派を問わず参加者を集めようとしていました。しばらくすると、左派勢力に乗っ取られていきましたが。
小説家や詩人は、小説や詩だけ書いていれば満足な人は政治には関わりませんが、そもそも満たされないから小説や詩を書くので、小説や詩を書いても満たされないのであれば、政治に乗り出す、という選択肢もありえます。
ただ、政治というのは妥協の掛け合わせで何かをつくりあげるもので、もとより簡単ではありません。そして、その過程で小説や詩のように動機となった衝動やテーマが、そのまま作品として昇華するのは稀です。政治が小説家を満たしてくれることも、たぶん稀でしょう。個人的に、石原さんの功績で一番印象に残るのは、排気ガス規制です。東京の空気は格段にキレイになり、ジョギングできるようになりました。以前のままなら、依然として喘息になる人も多かったのではと思います。以下、引用です。
「2002年の記者会見で真っ黒いすすの入ったペットボトルを振り回して、ディーゼル車の排気ガスで「これが1日12万本排出されている」と訴えた様子をみなさんも覚えているのではないでしょうか。
僕はランニングが日課なので分かるのですが、今でこそ東京の空気はきれいになりましたが、当時の排気ガスはひどいものでした。」