受験生に贈る言葉 「東大だけが大学ではない」
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人生は受験の合否よりも、どれだけ長い期間努力を重ねたかで決まります。東大に受かって喜んで勉強をやめてしまう人より、落ちた悔しさで勉強を続ける人の方が大成します。
手前味噌ですが、そんな話を書いた僕のブログ→ https://hiroono.com/ja/2021/02/18/perseverance-ja/
注目のコメント
今回の事件、発生直後は動機がわからずコメントする機会を逸しましたが、私としては「パラリンピック教育の敗北」ではないかと感じるほどショックの大きい出来事でした。
東京パラリンピックの開催が決まってから、多様性や共生社会という言葉が頻繁に掲げられるようになりました。私たちパラスポーツ選手はその象徴とされ、私を含めて多くの選手達が競技に加えて講演や広報活動に取り組み、大袈裟に言えば社会を変えることを目指していたと思います。
その取り組みの集大成とも言える東京パラリンピックが閉幕して、しばらく経った後に起こったのが今回の事件でした。
もちろん、事件を起こしたことは個人の問題も大きいとは思います。しかし、進学校が一様的な価値観に染まりやすく、多様性や共生社会というスローガンとは対極の文化が醸造されやすいことは確かです。本当にパラリンピック教育が必要なのは彼らのような生徒達であることをずっと感じていましたが(NewsPicksを始めた理由も同様)、パラスポーツ業界においては、そういった教育活動の対象のほとんどは小学生でした。
私も一定レベル以上の大学に行かなければ成功ではないというような雰囲気を経験したことがあるため、こういった生徒に対して表面的に多様性や共生社会を伝えても、結局は自分達とは違う世界の話だと捉えられておそらく響きにくいことを知っています。また、実際のところ多くのパラスポーツ選手にとって進学校は馴染みがなく、こういった生徒に対して響く話ができるパラ選手も不足しています。そういう意味では、パラスポーツ界も一様的と言えるかもしれず、お互いがお互いを別世界と捉えている限り、多様性や共生社会が実現することはないでしょう。
どちらの状況も経験した者として、非常に考えさせられる事件でした。
※記事の内容とは逸脱して失礼しました。受験生の時に見えなかったもの・感じることができないもの、受験生だから見えるもの・感じるものがあるなぁ、と大学4年生になって感じました。正直、受験生の時は大学がすべてだと感じていました。金沢大学に進学しましたが、第一志望ではなかったため、それほどモチベーションは入学時には無かった気がします。後期試験までもつれこんだため、精神状態も良くなく、一日一食食べるかくらいになり、生活も乱れ、肌荒れ・フケがひどかったことをふと思い出しました。もし、あの時、誰かから心無い言葉をかけられていたら、なにかがきっかけとなって僕もこの少年のように誰かを傷つけることで自分を何かから護ろうとしていたかもしれません。
けど、結局はどこに行くか、ではなく、何をするか、でしょう。一介の大学生が言ったところで、という意見はもっともですが、第一志望ではない行きたくなかった金沢大学(あえてこの表現をしてます)で素敵なゼミの先生に恵まれ、コロナで延期にはなったものの一年の留学に挑戦して、今アメリカにいます。第一志望の大学では留学は5か月までだったので、今の生活は絶対に手に入りませんでした。きっと、どこに行っても、最高の未来が待ってます。もしかしたら、行きたかった所に行けなかった方が、いい未来が待っているかもしれません。第一志望に行く人、それ以外に行く人、金銭的など様々な都合で選択肢がない人、もう一年頑張る人、様々な人がいると思いますが、それぞれ、そうなったのには何か目に見えない素敵な力が働いているからだと思います。きっと、どこかで報われて、これで良かったと心から思える日が来るはずです。
ありきたりですが、受験生、頑張ってください!