「絵が下手な人」と「上手い人」、ただ2つの決定的差
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注目のコメント
小学校の図工でデッサンすればいいのにと思う。
図工の時間や美術の時間が絵を書けないので苦痛で仕方なかった。
社会人になってから、単純なものをよく見てかく、書けたら角度を変えて書く、そして上手い人の絵(これも単純なもの)を見て書くというのをすると下手だけどなぜ下手なのか、どこが下手なのかがわかるようになり、絵を書くのが楽しくなりました。
体育も音楽もそうですが、学校教育は体を使う事を教えるのが致命的に下手な気がします。
図工の時間からは子供の自由な発想を壊したくない的な意図を感じますが、九九や、平仮名カタカナの書き方同様にデッサンも理解できなくてもとりあえずやらせてそこから自由に書けばいいと思う。小学生の時、めちゃくちゃ絵が下手で
図工の時間がホントに嫌いだった。
中3の最後の美術の評価は2。
それが勉強して知識がつくことで
バランス的なもの、黄金比的なもの
集束や光源とかいろんな知識が
使えるようになったからか
見られる絵にはなったと思う。
たぶんこの記事で言う
立体感や遠近感と言ったところが
知識として整理され
数学的にかまぁ論理的に
考えて描けるようになったんだろう。
見せて恥ずかしくなくなったのは
子供を持った今、良かったと思う。
ホッ写実的な絵を描くのが目的ならここに書かれているように理論を頭に入れて繰り返し訓練すれば上手くなりますね。でも、ビジネスパーソンが昨今注目されているような、デザイン思考やアート思考を身に付けるためなら、対象をじっくり観察して、そこから自由にものの見方のバリエーションを増やしたり、俯瞰し飛躍した発想を浮かべる訓練をしてみるほうが役立ちます。立体視や遠近法は、ものの表現方法の1つ。既存のテクニックの習得に過ぎません。