ラグジュアリーの価値と、「これは美しい」と言える自由
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「意味」が重要になっていく。N=1にとっての必要性が意味の源泉になっているというベルガンディの理論にとても共感。
例えば今までスーパーで買っていた野菜を生産者から直接買うなんていうのも新しいラグジュアリー。そこには「意味」とともに自分の生活や社会、生産者に対しての「美」があるようなものかと思うのです。
自分のとってのさまざまな美しさの追求がラグジュアリーであり、イノベーションのきっかけなのかと。
記事中にあるように、
「国民の誰もが自由に審美の判断をし、誰もが自分なりの意味を見いだし、それを公言できる。これが民主化された社会の条件であろうと思います。」だからこそ
「1人1人が考え、つくり、選べるラグジュアリーです。」
なのですね。
ラグジュアリーは多元的で多様なものになっっていき、それを選ぶ人の成熟度にも左右される。
とても興味深い記事です。自分の関わる記事で恐縮ですが、ラグジュアリーが社会全体にもたらす価値について考えています。
後半は安西洋之さん執筆ですが、全てそこそこ安くて不満のないものに囲まれ、何が美しいかを考えなくなっていくことで、判断基準を失っていくことの恐ろしさについても書かれています。以前は、単にマーケティングに踊らされるラグジュアリーに消費者は動かされていたと思いますが、これだけデジタル化のコミュニケーションが発達した今では、消費者はこれまで以上に賢くなった時代だと思います。
単にラグジュアリーなブランドだから、「そのブランドを持っている自分が好き」という時代から、ブランドが発信する社会貢献やブランドの姿勢を、さらに問う時代の突入だと痛感します。