今日のオリジナル番組


詳細を確認
どこでも栽培可能!?「農業イノベーション」
本日配信
150Picks
Pick に失敗しました

選択しているユーザー
音楽ばかりの僕が野球に興味を持ったのは、水島先生のアブさんでした。読み始めると止まららないあの感覚。ワクワク、ドキドキしながら胸が熱くなる不思議なストーリーと個性的なキャラクター。たくさんの思い出とリンクします。
ありがとう。
人気 Picker
『ドカベン』で高校野球を描きましたが、ご本人は中学卒業とともに丁稚奉公に出され、奉公しながら1950年代の貸本漫画時代にマンガ家として世に出ました。
 1970年代にテレビが普及し、プロ野球のナイター中継が、テレビ・コンテンツの目玉になりました。その時代に『あぶさん』『野球狂の詩』など、野球マンガの大立者として一世を風靡しました。
 1981年にはあだち充の『タッチ』連載が始まり、野球マンガの転換点となりましたが、それまでの時代、プロ野球と高校野球が大衆文化の中心に位置していた時代を体現したマンガ家でした。
ショックです。私にとって、なくてはならない漫画を書いていただいた神様のような方。ドカベンに限らず、多くの漫画を読ませていただきました。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
ドカベン、あぶさん、球道くん、ダントツ、男ドアホウ甲子園、一球さん、そして大甲子園ではそれぞれの主人公と明訓高校による夢の共演でした。小学校の時に読み漁りましたね。
ドカベンのライバルたち(白新の不知火、クリーンハイスクールの影丸、土佐の犬飼兄弟。。。)が他の作品の主人公たちに県予選で負けてしまうという超もったいない展開は凄いシナリオ構成だと驚嘆しました。岩田鉄五郎、水原勇気、藤村甲子園など、カメオ出演というか、チラッと出てくるスターに興奮しました。
ご冥福をお祈りします。本当にありがとうございました。
驚きました。1960年代〜70年代前半の我々世代にとっては「キャプテン翼」よりも、むしろ「ドカベン」。明訓高と土佐丸高の3度に渡る死闘は今でも忘れません。週刊チャンピオンを急いで買うために、通学路を走って帰ったことを思い出しました。ある時代の野球人気を支えたのが水島先生、と言っても過言ではないでしょう。心からご冥福をお祈りします。
ご冥福をお祈りします。私もドカベン世代でした。父親が好きで「ドカベン」と「あぶさん」が家にあって毎日繰り返し読んでいたのを思い出します。高校2年春の土佐丸との決勝で犬神の殺人スライディングを跳ね飛ばす山田太郎のブロック。高校2年夏の不知火、土門との死闘。大甲子園での球道くんとの延長再試合。ちょっと変わってて好きなのはブルートレイン学園との試合。久しぶりに読みたくなりました。素晴らしい野球漫画をありがとうございました。
「ドカベン」は夢中になって読んでました。捕手目線で野球をとらえるという視点が斬新だった。大観衆の大声援を表すのに「ワーワー」という擬態語を全体にまぶすという手法を生み出したのも彼ですね。
ご冥福をお祈りします。
「ドカベン」シリーズは、リアルタイムで全部読みました。主人公の山田太郎だけでなく、殿馬、岩木など個性あるキャラクターが面白く、そこから高校野球ファンになりました。

「明訓高校」は架空の学校ですが、新潟出身の水島さんが憧れた実在する「新潟明訓高校」をベースにしています。実際、新潟明訓が甲子園に出た時は、アルプススタンドで応援されていました。

他にも「野球狂の詩」では女性左腕のプロ野球投手、「あぶさん」は、酒豪の代打専門の強打者を描き、実際に南海ホークス時代の大阪球場左翼席に大きな「あぶさん看板」がありました。

明訓高校は、漫画では神奈川の高校で、保土ケ谷球場が何度も出てきます。数年前に夏の甲子園予選を見にいった時、球場前に「フルスイングのドカベン山田」と「アンダースローの里中」の銅像が、球場前にありました。地域のみなさんにも愛されたキャラクターでした。

本当に楽しませてもらいました。ゆっくりおやすみください。
小学生時代、中学生時代は野球にはまり、ドカベンの隅々まで読み込みました。いわき、とのま、など個性的なキャラを多数輩出、珠玉の野球漫画でした。ドカベンは漫画でなく参考書だと親を解きふせることができた唯一の漫画ではないかと思います。お世話になりました、ありがとうございました😊

R.I.P. 水島さん。
大好きな作品をたくさん描いてくれた水島先生…。

「のんべの代打屋」あぶさんが三冠王になったのは不思議でしたが、人情味の溢れる作品がとても多かったです。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。