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英語が下手な人は「主語の大切さ」がわかってない

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  • エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所代表

    Matsunagaさんが三上文法に触れられています。

    現在学校等で教わる日本語文法(いわゆる「学校文法」)は、日本の言語学者の橋本進吉(1882-1945)による文法体系(1935年頃)がベースになっているわけですが、橋本の前から日本の言語学界は外来語の文法体系の概念を日本語の中にいかに見出すかという発想が中心になって研究されてきた為、その影響が現在まで続いていることが、理解を阻害しているように思います。さらに、チョムスキー(1928-)が「すべての言語には主語がある」なんて言ったもんだから、それを否定する人が異端になってしまったというのもある気がします。(三上さんは異端ではありませんが)

    一方、三上章(1903-1971)は、日本語には「主語(文に必ず存在しなければならない海外の文法概念としての)」は元々なかったと主張。例えば、「◯◯は」の「は」は「主題」を意味しているだけで、さらに読点を越えて影響を及ぼすと考えました。

    そして、日本語には、主語はもちろんのこと、主語的な「主格補語」もあってもなくてもよくて、それらを必要としない、動詞文、名詞文、形容詞文しかないと。

    確かにそう考えると、色々とスッキリして、翻訳する場合に何を強調すべきかがわかりやすくなる気がします。

    早く三上文法で日本語が教えられるようになると、翻訳の混乱も減るのではないでしょうか。

    英語も、元々あった「中動態」(必ずしも主語の意志ではない動作等、例えば「欲しい」「生まれる」など)が喪失した(ギリシャ語などには残っている)と考えられていますが、その様な喪失が起きたのは、あらゆる自発的動作は主語の意志が伴っていると考えることが社会秩序の構成上都合がよいという通念が強くなったことを現していると思われます。その結果、主語の存在意義が特権化した。

    日本語も、近代化を経て急激に同様の「社会」(「社会」も近代の概念)的に圧力を経て、文法解釈を強要され、結果的に齟齬を生み出したのかなという気がします。

    西田の述語論理とは?と思ったんですが、西田幾多郎の場所の論理(述語の論理)ですか。三上に近い所までわかってたみたいですが、西田さんは説明が下手ですね、、、。述語論理って論理学では全く別の意味ですし、、、。

    集合論をZFCで基礎づけるアプローチと、圏論で考える違いに、似てなくはないですね。


注目のコメント

  • バッテリー スペシャリスト

    ここで三上文法を持ち出すと対立的に聞こえるかもしれませんが、実は翻訳家の方の言う構造の違いを正しく認識することに繋がります。

    つまり日本語と印欧語は主語の有無による構造の違いに尽きるという。

    更に西田を持ち出して述語論理や集合論の無限の捉え方の違いも言えそうですが、感覚的に言ってしまえば主体と客体に対する無意識の違いが言語に表れているのではないか。もっと言えば自らの名に大和や蝦夷と付けるというのは、紋章や家系を超えた民族としてのトーテムに結び付く濃さを感じます。

    英語学習をしていて抱く違和感は我々の根深いところに有る気がしてなりません。


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