日本人の英語が海外で今一つ伝わらない根本原因
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仕組みは誰が見ても一目でわかる仕組みが良い仕組みで、
説明は誰にでもすぐわかる説明が良い説明です。
グローバル化とかいうならなおさらのことで、中国人にもベトナム人にもネパール人にも容易に理解できる文章が良い文章です。
いいかえれば脱属人化する、誰にでもわかるようにマニュアル化する、ということです。
英語に直しにくい日本語の文章というのは、日本人が読んでも意味不明の文章です。
英語と日本語の文法とか構造の違いの問題ではなく、そもそも具体的に何を言いたいのか本人も考えていない、という場合がほとんどです。何かそれらしいことを言っておく必要があるから言っている、という場合が多いです。
政治家の発言なども、具体的にどういう法律をつくったり、措置をとるのかは全く不明なものが多く、官僚が機能する文章に直さざるをえません。
あえて複雑な仕組みや意味不明な説明がなされているのは、別にそれをつくった人の頭が悪いからではなく、シンプルで明確にしてしまうと自分の立場や権益が侵害されてしまうと思って根に持ったり反発する人たちがいるからです。そういう人たちに配慮した処世術(たとえば役所内の利害関係)として、複雑な仕組みや意味不明な文章が、日本社会にはあふれています。
そういう複雑で意味不明なものが温存され続けて、シンプルにも明解にもならないのが日本社会で、外国人を含む新しいプレイヤーが参入できないようになっています。スペイン語を日常的に使っている日本語母語者ですが、違う見解を持っています。
日本語はより具体的で、英語やロマンス語系はより抽象的です。
日本語の方が、ひとつひとつの具体的なモノや動作に名前がついるのです。英語等は動詞や名詞が抽象度の高い、つまり、抽象=多くのモノに共通な属性を抜き出して一般概念化した 言葉をより使う傾向にあるため、多くの事象をひとつの単語もしくは単純な単語の組み合わせで表現できます。そのため、常用単語数は日本語よりもかなり少なくなっています。
英和と和英で辞書を引くと、ある英単語を調べた時の日本語訳はだいたいバリエーションがあり、ほとんどの場合でその逆、日本語を和英辞書で引いたときよりも多くなっているので、そのことからも、日本語がいかに個別の事象に名前をつけて状況毎に使い分けているかがわかりますよね。
具体例で言うと、何かの中に入っているものや表に出ていないものを表に出す動作は、スペイン語ではその抽象性を一言で表したsacarで表現できますが、その訳の日本語は、出す、提出する、取り出す、抽出する、引き出す、持ち出す、発行する、など具体的な状況に応じて変えなければなりません。
これは、極東の島国である日本に伝わってくる外来語を、既存の日本語で代替せずにそのまま取り入れて日本語にしてきたからだと思います。中国から来た漢語はもちろんのこと、明治以降に西洋書物が積極的に翻訳された際も、社会や自由など新しく単語が造られて用いられるようになり、近年でも、ほぼ日本語で表現できるのにわざわざ微妙なニュアンスの違いを気にしてカタカナ語が使われたりしますよね。
そういう意味では、日本人がより微妙なニュアンスの違いに敏感であることが、必然的に世の中の事象を表す単語が多くなる理由かもしれません。
曖昧な表現のボキャブラリーすら豊富であるとも言える。
また、日本語が同じ文脈で育ってきた者同士のハイコンテクスト言語であるのに対し、
英語等が違う文化の人同士でも相手にはっきり伝わるよう成立したのは事実だと思います。
ただ、はっきり具体的にものを言う言い回しが主流であることが、言語の性質として具体的である、というわけではないですよね。
逆に、より抽象性の高い概念を用いてはっきり相手に伝えるからこそ、コンテクストの違う相手にでもしっかりと伝わるのではないでしょうか。直訳しないで、何を伝えるのかを考える。
日本語と英語は根本的に違う言語なので、思考回路を切り替えて話したほうがいいです。頭の中のOSが違いますからね。
日本語の会話でも大切ですが、自分は何を伝えたいのかを明確にして、相手が理解しやすいように具体的に話すことです。
日本語と英語それぞれの良さを理解すると、頭も柔らかくなり、思考力が磨かれますよ。