「誰も話せる相手がいない」日本の既婚男性が次々と発症する"見えない病"の正体
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要するに、リタイアせずに、どうやって仕事を継続するか考えるしかないですね 笑
年々、退職予定の年齢が変わる団塊世代jrにとっては、いつ定年がやってくるのかよくわからないですが、そう考えていくしかないと思っています
注目のコメント
書きました。
大体の高齢男性の末路は、友達もなく、趣味もなく、生きがいもなく、やることもなく、さりとて何かを始めようとする意欲もなく、ただ毎日テレビを見て過ごすだけの抜け殻となる。「友達がいない」と嘆く高齢者に必要なのは、友達ではないという話です。
職場という「所属するコミュニティ」への唯一依存度が高い人ほど、いつしか肩書や仕事での実績でしか自己の存在を認識できなくなる。いつまでも所属していられるなら別ですが、そうもいきません。高齢になってから無理に友達を作ったり、趣味を見つけようと思ってもなかなかうまくいかないでしょう。
友達も趣味も所属もそれ自体が目的なのではなく、人と話をするための手段です。自分の話を誰かに聞いてもらう事はセックスに匹敵する快感とも言われます。会社や家族という所属先だけではなく、第三、第四の接続先(私はそれを「接続するコミュニティ」と呼んでいます)を別途用意する事は大切だと思います。飲み食いが好きなら「近所の居酒屋」というのもありますよね。常連でガチガチの店よりも、フリ客や一見さんが常に一定数いるような、適度にオープンな店がいい。季節のあれこれをつまみつつ、飲みつつ、気が向けば話しつつ、気が向かなければ本でも読みつつ、と。そういう店が3軒もあれば、特に「友達」など不要です。
読みました。
コレ、けっこう切実な問題ですね。自分自身も。
30近くなった頃から、友人達も結婚したり子どもができたりして、遊ぶ機会は格段に減りました。
30半ば頃から、遊ぶ友人はかなりいなくなったように感じるようになってきました。
40近くなった頃から、退職していく高齢者達を見ながら「自分は退職後、何をしたらいいのか?」と思うようになりました。
飲みニケーションなどが好きじゃないタイプなので、老後の孤独化は切実ですね。
やはり仕事をほそぼそ続けながら人との接触を持つ方法がベストですかね。となると、身体が動くように健康に生きなくては。
心の健康を保つために仕事をし、仕事を続けるために健康に留意する。それは(既に若干依存気味の大切な)妻の心身の健康のためでもある。
中年真っ盛りですが、人生の終わり方についてこの年末年始はよく考えてみようと思います。
とりあえず、良い関係を人と築くため、人に対して優しくありたいと思います。(若かりし頃の傍若無人ぷりを反省。)