カリフォルニア州が「数学の才能がある生徒」という概念を否定するようになった理由 | 数学にも“お目覚め文化”の波?
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数学やエンジニアリングの専門家にならなくとも、数学的なアプローチが取れるかどうかで仕事の幅や効率性が大きく左右される。
数学的な考え方が苦手で、他のスキルが卓越していたとしても、数学を諦めるという選択がその人の将来的なオプションを大きく狭めることになる。
個人にとってはもちろん、社会にとっても生産性の観点からとても大事な論点だと思う。
注目のコメント
メリケンSTEM教育現場では、DEIの次の(進化型の)キーワードが social justiceなんですねぇ 加州だけではありません そのうちABETにも明示されるでしょうねぇ
微積分 < 統計の件はついでのハナシで、真の動機はもちろんコレ↓です 政治家の方にとっては潜在的火種ですからねぇ ニホンの方々にはちょっと極端、とお映りになられるかもですが、メリケン社会にとってBLMは、そのくらいの衝撃があった、という事なんですねぇ
「カリフォルニア州の公立学校の数学特別コースは、総じて白人とアジア系の生徒が多い。一方、ラテン系や黒人の生徒は顕著に少ない傾向が続いてきた。」
で、こういう改革は教育機会の公正化 (平等化ではありません)が基底にあるため、入り口でのスクリーニングを避ける傾向があります その結果、進捗調査と個々の学生さんの進捗に応じたサポートを、現場で教育を行う先生方に任せる事になります コレはタイヘンな仕事です なので、こうした、政治的に見た目のよい、しかし現場の先生方の負担大幅増につながる改革を行うならば、同時に公立校教員の方々の(大幅)待遇カイゼンもペアでやらないと、(公立校の)先生になろう、と思う若者が更に減るだけだとおもいますねぇ
あ、メリケンのハナシです
あ、“お目覚め文化”ってどういう意味なんですか?日本のように下に合わせる教育にならなければ、より多くの学生に数学の面白みを伝えていくことは必要
> より多くの生徒たちがよりハイレベルに到達できるように、チャンスの間口を開いてみましょう、ということ難しい問題ですね。ギフテッドコースが分かれていることで救われる子もいるし、それによって子どもたちの自己認識が無駄に定着してしまったり(自分は数学じゃないなーとか)、熱意のある先生がギフテッドコースに集中してしまったりと、色んなことが実際には起きるのだと思います。
特に小学生ぐらいまでの子どもたちの関心は、本当にちょっとしたことで移り変わります。先生から褒められたとか、友達からすげーって言われたとか、何か分からなかった問題が分かって嬉しかったとか。そして意欲が変われば、得意も変わったりします。本当はまだまだ色んな可能性が開かれている時期に、学校で先生からラベリングされることや、自分で自分をラベリングしてしまうことの効果と破壊力は半端じゃないです。
テクノロジーをうまく使うことで、同じ場にいる子たちがそれぞれの課題に取り組むことはできるようになってきてるので、生活をともにする場は1つ、あとはクラブ活動のような感じでその分野に関心の強い子どうしのコミュニティの中で伸ばせる力をどんどん伸ばしていく、というのが1つの答えになるのかもしれませんね。