コロナは今後、どうやって「普通の風邪」になっていくのか
- 社会に定着するプロセスを辿っている
- いつか「普通の風邪」になる
- 早ければ来年中頃にも
- 医療崩壊はなぜ避けるべきか
- コロナ対策の「難しさ」の理由
- 私たちはどんな社会を望むのか
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パンデミックが始まってはや2年近く。オミクロン株の登場で1月中の「第6波」も懸念されている状況ではありますが、休暇中の人も多い時期だからこそ、いつもよりも長い時間軸で、コロナウイルスとの付き合い方を考えてみたいと思いました。
訪ねたのは人類と感染症との長い闘いの歴史を熟知する長崎大学の山本太郎教授です。
インタビュー中、コロナ対策を巡る様々な意見の対立について、「どちらの意見も正しいことが多い」「そもそものフェーズに対する認識が違うから(対立が)起きている場合も多いかも」という山本さんの指摘にはっとしました。
自分自身、冷静にフェアな視点で取材しているつもりでも、最も納得する意見に無意識のうちに固執していたこともあったかもしれない、と思います。
じっくり考えたり、家族や友人と話し合ったりするきっかけとして読んで頂けたら嬉しいです。
例えば天気。専門家ができるのは降水確率を算定することであり、傘を持ってくかどうか決めるのは個人の価値観です。この2つは分けて考えなければいけません。
このように議論をするときは、数字と価値観を分けるなど、下地作りが必要です。コロナ対策の時にいつも感じるのは、まず相手がどのような社会を望むのかという価値観を知っておかないと議論の意味がないということです。
もし望む社会が同じであれば、よい効果的な手段を巡る議論は有効ですが、望む社会が違えばコロナ対策の手段はそもそも異なりますので、議論は意味を成しません。
ワクチンがある程度行き渡り新薬も開発されコロナに対してのヒステリックな報道が少なくなってきた現在、我々は感染症のリスクをどのように許容する社会を望むのか、そんな価値観の議論がもっと出てきても良いように思います。
スペイン風邪も約2年で変異により弱毒化して消えました。学者によっては、未知のウイルスは無数にあり、昔から変異による弱毒化のプロセスを繰り返していると主張しています。この一連の変遷をpandemicからendemicへといいます。弱毒化したともみられているオミクロン株は、コロナ禍の終わりの始まりの可能性があると思いますね。
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