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ひとつのツイートと反応から、ここまで論考を広げた筆力にまずは敬意を表します。そして、これがポストモダンたる現代の姿なのだと強く思います。私が佐藤優さんらの著作から勝手に思ったことは、近代とは「同じであること」に価値を認め、それを目的とすることだという理解でした。方言から標準語へ、そして英語へ。同じ時刻にみんなが学校に行き、会社に行く。男性は仕事をし、女性は家事にいそしむ。みんなが「同じであること」が「近代」の目標であり理念だと思います。そして、ポストモダンは「違うこと」の価値が高まり、「違うこと」を堂々と言える時代だと考えます。家族のあり方、LGBTの人たちの提起、心の病の生活習慣病化などは、すべてポストモダンの時代の姿だと思います。そして、共同体も家族も性別さえも解体しつつある中、これまでになかった同棲生活やデジタル空間の中だけのコミュニティなど新たなつながりか次々と生まれているのだと思います。
「結婚」という概念が持つ意味に関して考え直す必要がありそうです。

私も、相手の扶助義務や遺産の相続権、遺族給付を受け取る義務権利の前提が「恋愛性愛生殖」ありきの必要はないと思います。

以前同性パートナーの方が、法律上のパートナーでないことで片方が入院した際に面会を認められなかったとの話を耳にしました。
「結婚」により、法律上の家族になれないことで多くの不便さや息苦しさがあると思います。

選択肢が無かったり、望む選択ができなくて生きづらさを感じる人を減らすために改善の努力が必要です。
“人に合わせて制度を変えるか、制度に人を押し込めるのか”

現行システムに安住し続けるのではなく、常にその制度から取りこぼされている人々が居ないか批判的に考え、彼らがどのような葛藤や苦しみを抱えているのかを想像する。そのような営みを行える心と時間の余裕を大切にしたいですね。
昨夜著者のフランス在住高嵜さんとお話しする機会がありました。正直NPでこれだけのコメントをもらえるとは想定していなかったという嬉しい驚きを語ってくれました。
フランスには同居して生計をともにする人(血縁も含め)の定義が十七種類もあるそうです。詳しい話はぜひ高嵜さんのメルマガで。この共感には何かあるのか、制度設計者やNPメンバーのような企業社会で力を持つ人たちは考えなければいけないことでしょう。
また、少子化の専門家としていわせていただくと、そろそろ男女でsexをして子どもを作り、その子どもを両親で責任をもって育てるべしという繁殖の仕方は「到底無理がある」と思わざるを得ない。NHKの最新の脳科学を駆使した「ジェンダーサイエンス (1)「男X女 性差の真実」」という番組を見ると狩猟社会の終わりからテストステロンの減少が進み、人類はどんどん中性化している。なぜなら社会を作り、協力して繁殖するには「戦闘的な男性」ではうまく折り合っていけないからです。今の若い世代の男性たちに、男女によるセックスとそれをベースにした子供の生育というモデルを期待するのは無理ではないだろうか? フランスはすでに「子どもを持ちたいすべての女性」への不妊治療を精子、卵子、受精卵の提供も含めて保険の対象としていますね。
多様なあり方が認められる社会になるといいですよね。

「生物学的作用は可能にし、文化は禁ずる」(サピエンス全史上, p187)ってことだと思います。常に何かに制約をかけるのは文化であり、生物学上禁止されていることは何もありません。
改めて、日本における結婚や異性愛主義について考えるきっかけになりました。

夫婦別姓に関しても、「家族の絆が…」や同性婚でも「少子化がすすむ…」などの意見がありますが実際この記事にあったように【結婚以外にも共同生活の法的な手段があり、かつ合計特殊出生率が日本より高い国は、いくつも存在するのだ】
他の国でうまくいっていることが日本でも同じようにいくとは限りませんが、視野を広げて考える必要があると思いました。
人に合わせて制度を変えるか、制度に人を押し込めるのか

ルールを変えていく努力は大切。ただルールが変わるのには時間がかかる。
ルールに抵触しないように自分たちの形を作るのも同時に大事にしたい。声をあげることを忘れずに。
一言一言頷きながら読みました。

私人(しじん)間の関係性(愛情、友情、信頼、絆)は、結婚・入籍といった制度以前に存在しており、制度の規定する形に必ずしも添いません。

婚姻関係や親子関係を規定する制度が存在する目的は、人々を守るためであって、人々の自由や権利を闇雲に制限するためではありません。