「子どもは家庭でお母さんが…」 こども家庭庁を選んだ政治家の意識
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近代以前の家族を原点にすると、家族の中から、仕事が工場へ、教育が学校へ、治療が病院へ、と機能が委譲され分化していくのが、家族の歴史です。そういう意味で、家族は歴史的にずっと「崩壊」し続けています。家族の「崩壊」を嘆いて、その残像を追い求める発想も「崩壊」の歴史とともに古く、いつの世にも「家族の崩壊」を嘆く議論があります。
育児が保育園へと委譲されているこのご時世に、子ども家庭庁なんてとんでもない話。これでまた幼保一元化が遠のくのではないかと危惧しています。子どもができて気づいた大きな発見は、「子どもは授かりものではなく、預かりものだ」ということでした。社会からの、未来からの預かりもの。
なぜそう確信したかというと、シッターさん、保母さんから、電車の中などで会う見知らぬ人まで、実に色々な方の助けがあって、子どもは育っていくものと、実感し、感謝する場面が多々あったからです。
子どもは親の所有物ではない。なのに!と、虐待死させる親、親の権利に勝てない行政と、「子どもは家庭で育てるもの」という発言は同根だと感じます。
家庭という言葉が入った瞬間、少子化対策に本気ではないことも露呈してしまいました。最も少子化が進んでいる韓国、日本、イタリア、いずれも家族主義の強い国だということをご存知ないわけではないでしょうに。
最後に、菅さん、結構いいこと進めていたんですね。もっとプレゼン力があったら、自民の一部の保守派(実名晒して!)に骨抜きにされる前に、世論の支持をバックに、さっさと「こども庁」で実現できたかもしれないのに。もう切なさと変革への期待が、一気にシューと…
ますます家庭以外の誰にも相談しちゃいけない&背負いこめという雰囲気が醸成されないことを強く願っています。