ジャーナリズムの未来

ジャーナリスト菅谷明子インタビュー(2)

ジャーナリズム:変わるもの、変わらないもの

2014/10/7
ネットからスマホへと、激変が続くニュースメディア。その動きの中心であり、世界中のメディアが注視しているのがアメリカだ。アメリカのジャーナリズムについて取材を続ける在米ジャーナリストの菅谷明子さんに、アメリカと日本のジャーナリズム事情について聞いた。以下、読者向けに編集を加えたものを5回に分けてお届けする。
第1回 米国メディア界を変えた「破壊的イノベーション」

[YF]菅谷2

――歴史的に見て、ジャーナリズムの根底で特に大事なところはどこでしょう?

民主主義を健全に機能させ、市民のために存在するということです。もちろんジャーナリズムが万全とは言えませんが、基本的には権力、つまり政府や企業などをチェックする役割を負っています。組織でも個人でもパワーを独占すると腐敗が起こるという前提に立ち、その監視をすることがみんなの利益になるという発想です。日本も一応そうなってはいますが、権力に対して果敢にチャレンジしていくという姿勢は十分ではないと思います。

日本の新聞は発表をもとにした記事の割合が高く、独自取材が少ないために、結果的に政府や企業の意向を伝えることになってしまいがちです。勿論、アメリカも発表記事はありますが、日本はその比率が高い。また、アメリカの新聞であれば、情報源に市民や非営利組織、被害者側の視点など「小さな声」を入れたり、違った見方を入れるなどバランスを取る努力が見られます。

ただこれは、日本のメディアの問題だけではなく、読者の側も権力に批判的であると同時に、権威や立派な肩書きの人が言うことを信じるところもある。ジャーナリズムは、発信する側とそれを受け取る側で成り立っているわけですから、読者も間接的に「共犯関係」を作っていないか、再考する必要もあると思います。だからこそ、メディア自身の変革が必要だけでなく、市民がメディアをどう受け止め、反応し、行動するのかが大事だと思っています。

――となると、ジャーナリズムにとってのテクノロジーはあくまで表層ということになりますか?

テクノロジーはどんどん変わっています。「『バズフィード』がすごい!」といっても、2、3年後は分からない。今はスマートフォンのアプリでニュースを読む人も増えていますが、最近、ニコラス・ネグロポンテ(マサチューセッツ工科大学メディアラボ創設者)に「ニュースの10年後はどうなると思う?」と尋ねたら、「薬みたいになってるよ。飲むことによって脳にニュースが…」と言っていました(笑)。

彼は1990年代に著書「ビーイング・デジタル」で、デジタル化で出版や新聞、テレビが将来統合されると予言したのですが、当時は半信半疑の人も多かったはずです。薬の話はどうなるか分かりませんが、テクノロジーは進化が早く、iPhoneもやがては古くなり新しいものに置き換えられていき、そのサイクルは益々早まるでしょう。

だからジャーナリズムにとって重要なのは、目先のテクノロジーに対応することだけでなく、揺るぎないビジョンを持つことです。今後、10年、50年、100年後の社会のためにジャーナリズムは今、何をすべきなのかといった長期展望です。

また、「書くことで終わり」ではなく、「記事の先に何があるか」。読んだ人がそれによってどんな新しい知識を得て、その人の考え方が変わる、行動が変わる、社会や政策が変わる、そこだと思います。世の中にポジティブな変化をもたらすきっかけになるのがジャーナリズムの神髄だと思います。

場当たり的なものより、対策を考えられる報道を

――そんな菅谷さんは日本でパッと新聞を開いた瞬間に、何を一番変えたいと感じますか?

深い分析と情報源の透明性ですね。新聞は事後報告が多い。起きてしまったことよりも、水面下で進行していることを人々があらかじめ知る事ができれば、それを変えたり、阻止することもできて意義があると思います。ただ、その為には調査能力が必要ですし、手間がかかるという課題もあります。

交通事故や殺人の記事も大事です。ただ、そうしたニュースは毎日のように報道されて、次の日にはまた違う事故の記事が出てくる。そこで私たちは「世の中、治安が悪いな」という印象を抱く。でもそれは「点」であって、全体としてどうなっているのかは、見えにくい。

しかし、本当に大事なことは、場当たり的な報道より、例えば、1年間に起きた殺人事件を振り返ってその傾向をあぶり出し、こういう対策が考えられるのではないかと提案することだと思います。だからこそ、新聞には、「今日こんな殺人事件がありました」というニュースは他に任せて、深く分析した記事の比重を増やして欲しいです。

また、「安倍首相が○○と言った」という談話や発表ベースの記事も多いですよね。でも最も大事なのは、安倍さんが語った「言葉」ではなく、実際に政治の現場で何が起きているかを外堀から固めて検証する事だと思います。安倍さんが言ったことと、それが本当かどうかというのは全く別のことなのに、「安倍さんがこう言いました」が一面の見出しになってしまう。

記者会見などで語られることは、実はある意味で一番バイアスがかかっているものですよね。安倍さんの言葉であれば、「安倍さんバージョン」の世界観なわけです。私たちが本当に知りたいのは、「安倍さんが言わないこと」「知られたくないこと」のはずです。また、企業関連のニュースにしても企業からの情報源で企業目線のものが多い。消費者にとってはどんな意味があるのか、という立場を変えての分析もしてほしい。一つの記事に多様な視点も入れてほしいです。

情報源の透明性で言えば、記事の中で使うコメントにしても、アメリカであれば、出てきたコメントだけでなく、取材を申し込んだけれど断った人もいたみたいに書きますが、それも一種の情報開示です。インタビューでも、その人の肩書きだけでなく政治的なスタンスも書くことで、どういう立ち位置の人が言っているのか、という情報も読者に役に立つと思います。

さらに言えば、取材候補はどんな人たちで実際に誰にOKをもらって、どういう質問をしてどんな答えだった、その中でこんな部分を使いました、などの取材プロセスの説明があれば理想的です。

非営利報道のウェブメディア『ProPublica』(プロパブリカ) では、調査報道に使った元資料をサイトにアップしているものもあります。実際に検証する人は少ないかもしれないけれども、元データが何で、どこを引用して、どんな結論に導いたかを知りたいと思えば、とりあえずアクセスできる透明性があります。新聞報道は批判もありますが、裏を返せば「事実」の重みがネットとは異なり、市民からの期待も高いだけに、より厳密な透明性が求められていると思います。

(写真:大澤誠)

※続きは明日掲載します。