グローバルタレントに会いに行く

薄型テレビ市場でなぜ韓国勢に負けたのか?

ソニー若手が言う。「勝てない理由は戦略だ」

2014/10/6
国内労働人口の減少や事業の多角化・グローバル化、商品・サービスの早期コモディティ化などを背景に、 グローバルタレント(グローバルに活躍するタレント人材)の育成が日本企業の急務となっている。では、実際にグローバル・タレント・パイプライン(=経営者候補を長期にわたって育成する仕組み)に乗った人とはどのような人なのか? そして、日々どのような“特訓”を受けているのか? 彼ら彼女らの実像に迫る。
第1回  ソニー若手エースは、会社の危機を救えるか

 【RS】ソニー中島さん2回目
ソニーのビジネスクリエーター室で、新規事業のマーケティングを担当する同社“グローバルタレント”の一人、中島豊氏は、2005年〜2006年に赴任したシンガポールのアジア地域拠点である壁に直面していた。

現地の人に、当時出始めのハイビジョンテレビの魅力を伝えるには、フルハイビジョン対応のハンディカム、音響システムなど多様な製品を総動員して店頭デモを行うのが効果的だ。

だが、それを実現するには、テレビやデジタルビデオカメラなど製品ごとに異なる担当部署間の壁を乗り越え、協力を仰ぐ必要があった。

「各事業部の責任者と何度も打ち合わせをして課題を抽出し、その課題を持ち帰って、社長と話し合いながら戦略として具体化する。そして、店頭デモを行うための予算を取り付ける。また、マレーシアの店頭に出向き、デモが出来るかを交渉するなど、やることは山積みでした」

韓国勢に埋め尽くされた東南アジア市場

ソニーは大企業だから、当然、知り合いがまったくいない部署もあった。そんな時は、ツテを辿ったり、時にはイチからアプローチもした。

結果、交渉の末、東南アジアで、製品カテゴリーをまたいだ店頭デモが実現。ソニーのハイビジョン製品は現地で高く評価され、高セールスに繋がった。

この仕事ぶりが、当時の直属の上司であるシンガポールの販売会社の社長に高く評価された。

「販売会社に正式に赴任する機会を頂くことが出来ました」向かうは、タイだ。 薄型テレビのマーケティング担当として、売り上げ責任を追い、製品に値段を付け、マーケティングを行い、時には店頭にセールスに行く、包括的なマーケティング職に抜擢された。 27歳の時だった。 中島氏がタイの販売会社に赴任すると、またしてもぶ厚い壁が待ち受けていた。

「当時は、韓国メーカーが薄型テレビの市場を席巻し始めた時期。タイの店頭は韓国系商品で埋め尽くされ、ソニー製品は売り場所を取られつつありました」

競合他社は、資金力もあり広告出稿量も膨大。その上、社風はトップダウンで決断も早かった。

「とはいえ、なぜ我が社が勝てないのだろうと考えたとき、ぶちあたった1つの壁が“戦略”だったんです」

ソニーの海外展開の歴史は古く、50年代に遡る。 海外営業を担当する人材の質も総じて高く、現地販売会社への権限委譲も進んでいる。

そのため、現地に根ざしたマーケティングのメソッドも、しっかり確立されていた。 中島氏自身にも、「ソニーの販売現場で鍛えられた自負」があった。

商品を高く売るだけじゃダメだ

「我々セールス・マーケティング担当は、商品を高く売ることが大きな自負の1つなんです。それが出来るのは、当社の製品が高い技術に裏打ちされているから。そして、マーケティング担当者が、新しい技術や製品が出てくるたびに、どのようにプレゼンし、どのような言葉で店頭セールスをすれば、現地のお客様の心をくすぐることが出来るのかを反復して考え、トライアル・アンド・エラーを繰り返す手法が身に付いていたからです」

だが、当時のタイの薄型テレビ市場では、そのメソッドだけでは、もはや通用しなかった。

その戦略こそ、MBAの名門、INSEAD教授のW・チャン・キム氏が考案した「ブルー・オーシャン戦略」。 韓国系メーカーは、この戦略を忠実に取り入れて拡大していった経緯があった。

中島さんの送別会@タイ

タイ赴任時代の中島氏と同僚たち

「ソニーの薄型テレビには、優れた技術はありました。一方、韓国メーカーのテレビの品質は当社より何段も劣るものでした。しかし、デザイン性がかなり高かった。タイはファッションなど見た目を凄く重視する国民性です。従って、居間に置くテレビのデザインも大変に気にします。彼らは今まで顕在化していなかったデザインという新しい価値を創造し、商品を投入した。デザイン性の高いテレビを製造・販売することこそが、ブルーオーシャンだったのです」

中島氏もタイ人のニーズを捉えて、筐体(きょうたい)の一部にピンク色を取り入れた大胆なデザインの薄型テレビの製造・販売を提案。実際に販売にこぎ着け、高セールスをマークする成功体験も味わった。

記念モデル生産で大失敗

一方で、手痛い失敗も経験した。

「タイの国王が80歳を迎えられた時、これを記念して、国王誕生日記念モデルを作ろうと、王家のシンボルカラーであるゴールドを液晶の枠組みに採用した薄型テレビを販売したものの、大失敗。値付けが高すぎた上に、王族を商売の道具にしたと反発を招いて、まったく売れませんでした」

高い技術力と、伝統に裏打ちされたマーケティング力があれば、絶対に他社に勝てる—−そんな自信は脆くも崩れてしまった。

我々に足りないものは戦略だ−−。

そう確信した中島氏は、この頃から今まで意識したこともなかったMBA留学を検討するようになった。 それも、ライバルである韓国系メーカーが取り入れた「ブルー・オーシャン戦略」を考案したW・チャン・キム氏がいるINSEADを目指そうと。そう決意するのに時間はかからなかった。

「幸い私には、国内海外を含む現場での販売、マーケティング経験が十分にありました。それにプラスして、MBAで戦略やフレームワークなど体系的な学問を学べば、相乗効果は大きいと考えました」

社内留学制度の試験に無事突破。

大学院の入学試験もクリアし、2011年、中島氏はINSEAD の門戸を潜った。 そこで待ち受けていたのは、驚くほど多様性に富む仲間と、彼ら彼女から浴びせられる容赦ない詰問の嵐だった。(以下次号)

※本連載は毎週月曜日に掲載する予定です