マレー半島上陸80年、戦争の記憶なお 東南アジア
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10数年前、20年近く前でしょうか、日本軍が上陸したマレーシア・クランタン州州都コタバルにある海岸パンタイ・サバまで行きました。実際に利用された足場やトーチカが残っており、たまたま出会った村の古老が当時の話をマレー語と日本語を交えてしてくれました。稀に日本人が見に来るとのことでした。
こちらにパンタイ・サバの話が写真入りで報じられています。
https://withnews.jp/article/f0190921000qq000000000000000W06s10101qq000019638A
また、シンガポールと日本の双方にルーツを持つ雨宮美奈子さんが書かれたこちらのブログは、12月8日と8月15日に読み返したい内容。
https://www.minako-amamiya.xyz/entry/syonanto
同様のルーツを持つThe Straits TimesのSumiko Tan氏が書いた"Sundays with Sumiko"にも、日本に対する複雑な思いが綴られています。日本について以外でも、Sumikoさんの文章自体もおすすめですし、シンガポールで仕事をしている方やシンガポールに関わる方には是非読んでいただきたい内容。
https://www.amazon.com/Sundays-Sumiko-Tan-was/dp/9814642967
また、私が天皇(当時)のフィリピン訪問の文脈で書いたものですが、こちらも現地サイドの複雑な心情に触れました。
https://newspicks.com/news/1400837
注目のコメント
良記事。東南アジアで生活する日本人として、この歴史は忘れてはいけない。
シンガポールならFort Canning parkやCity hallの近くに慰霊碑もあります。タイならカンチャナブリなど。
戦場にかける橋やクーカムは戦時中のタイをテーマにした映画ですね。
今度シンガポールへ行く機会があれば、博物館も是非訪れたい。1988年にいくつかの東南アジアの子会社に出張した時に、赴任者から言われた言葉です。
「まだ 戦争時に日本軍に家族を殺された人達がいるのだ。常に立居振る舞いに気をつけなさい。」でした。
カミさんの叔父はパールハーバーで重症を負い、2ヶ月入院していました。友人が何人もその時に死んだそうです。
37年前結婚式で、姪がジャップと結婚するなんてとんでもないと言っていました。
戦争の傷は長く残るのです。ただみんな心の奥にしまっているだけです。