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タブーに切り込め!ここがおかしい「日本の保険」
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どの国でも外国人差別はあると思いますし、そもそも他国で住むことを決めた人ならある程度不利なことが起きても覚悟はしているはずですけれど(私もそうです)、正直なところ、日本は積み重ねによる信用を大事にしているため、外国人には住みづらいところが色々あると思います。それでも日本で夢を持って頑張っている在日外国人の立場も考えていただければ嬉しいです。

そして在日外国人も税金を同じく払う、ある意味社会構成員の一人一人なので、差別的扱いを受けることは相当悔しいと思います。時間をかけてもいいので、少しずつでも多様性を作っていく社会であってほしいなと思います。
私も驚いたことがあります。「怪しい外国人に注意」というビラを地元の警察が撒いていたからです。頭にきて抗議に行きましたが、担当の警察官は何が問題なのかもよくわからない様子。完全なレイシャル・プロファイリングです。日本人しかいない空間なので、まったくわからないのでしょう。これはアメリカ大使館だからちょっとは気にしてもらえるかも知れませんが、ネパール大使館が声を上げても、警察は無視してしまうんではないでしょうか。
この前自分の不注意でバッグを無くしたとき、警察の方の対応がとても親切で感動したみたいないい話もありますけどね…
これは、米国人男性が東京の入管施設で暴行を受けた事案があって、間もなく行政訴訟を起こすからでしょうね。
 この米国人男性は黒人で、「人種を理由に暴行を受けた」と主張しています。
 米国では、黒人が人種を理由に警察などから暴行を受けるのは、暴動が発生するくらい政治的に深刻な事案です。
 米国政府としても、こういう事案が起きた際には、外国の出先であろうと迅速な支援を行うことが、非常に重視されます。

東京入管で暴行、腰骨損傷 収容の米国人男性が国提訴へ
https://nordot.app/834398224424648704?c=39550187727945729
外国人への対応の問題は、入管施設で相次いで発覚しています。入管の人権意識の問題には、長く根深い歴史があり、入管と警察は体質的にも違います。警察は、常に刑事司法の統制下の置かれており、人権への配慮を求められる状況にあります。ただ、それでも外国人の扱いは苦手なようです。言語の壁、文化風趣の違いはもちろん、日本の独特の刑事司法が外国人に理解されにくいことも対応を難しくしています。またどうしても島国根性も出てしまいます。ただ、そんな言い訳は通じません。米国大使館が提起した背景には看過できない例があったのだと思います。コロナ禍で外国人観光客が少ない中で起きたことは不思議ではありますが、これを奇貨として外国人の人権について改めて学習すべきだと思います。
一人では経験ありませんが、友達(典型的な「外国人」な見た目な人)と歩いていたら何もしていないのに職務質問されたことはあります。親族が遊びにきた時も、上野を歩いていたら「見た目が似た人がトラブルに関与しているので話を聞きたい」と止められました。

運よく私が日本語を話せたので何事もなく終わりましたが、彼らもいきなり止められてかなり動揺した様子で、もし言語が通じなかったら大問題に発展しただろう、、、とヒヤヒヤするやり取りでした。出身国によっては警察官に突然絡まれると良い思いをしない人もいるので、今後日本の警察も柔軟に対応する必要があるかなと。
安全な家庭内から新聞やテレビで批判することは簡単ですが現場の警察官の声にもよく耳を傾けた方が良いと思います。人種などでの差別はあってはならないことですが犯罪が多いのも事実。東京地裁の刑事裁判の傍聴に行くとあまりに外国人の名前が多くて驚きました。それも麻薬や窃盗、傷害、強盗など恐ろしいものばかりです。裁判が公開されていることの意義を考え暇な時にでも傍聴しに行くのをお勧めします。日本に来たはいいが仕事にあぶれた人が再チャレンジすることが難しいなど政策面の欠点を反映している可能性もありますし正しい多寡は統計によるべきと思いますが肌感覚の修正のため生で確認しても損はないと思います。今はコロナで少し事情が違うかもしれませんが。
日本やばいね。鎖国政策と相まって段々戦前のような雰囲気になってきてるのかな。益々、立ち寄りたくない場所になってきた
米国がそれを言うのかという気はするが…究極の二枚舌
見慣れない人がいたら気になりますよねー
警察官は気になる人に対して職質とかしますよねー
バイアスとかあるんじゃないかなぁと思いました。

差別をなくすには差別を無くそうなんて言うよりも、多種多様な人との触れ合いの機会を増やす方が意味あるんじゃないですか?
差別をするために差別に至る人って少数派じゃないかなぁというのは希望的観測に過ぎないのでしょうかねぇ