ADandMEDIA_田端信太郎_第4回

日本の広告の買い手は目が肥えてない

ネイティブ広告は当たり前すぎる。なにかおかしい

2014/10/2
テレビ、雑誌、新聞、ウェブメディアで取り上げられれば、モノが自然と売れる――そんな時代は終わりつつある。では、ソーシャル、モバイルの普及により、マーケティングのあり方はどう変わっていくのか。LINE上級執行役員として、広告営業や法人ビジネス全般を統括する田端信太郎氏に、マーケティングとメディアの未来について聞く(全5回)。
第1回 バズワードで荒れる、日本のマーケティング
第2回 バイラルメディアは二重の意味でダサい  
第3回 マーケターは恥をかく覚悟、クビになる覚悟を持て

 

 

 

――今、キュレーションメディアが盛り上がっていますが、田端さんはどう評価していますか?

対象を誰に想定するかで、話は変わってくる。大多数の普通の人を想定すると、ニュースは単なる世間話のネタ。合コンで話すネタとか、髪を切りに行った時に美容師さんと話すネタとか、そういうものだと思う。

例えば証券会社や、商社のトレーディングデスクに勤めていて、今日の原油や金や為替を知らないといけないという理由で毎日のニュースを見ている人は、日本人全体から見たらせいぜい1割。天気予報以外の、今日のニュースを知らなかったら困るというような生活をしている人は、実はそんなにいない。それ以外の人がなぜニュースを見るのかと言えば、話題についていけないと世間知らずのアホだとレッテルを貼られるから。

ただし、その境界線も徐々に変わってきている。昔は、サラリーマンの中でも、今年の巨人が強いか弱いかを知らないと非常識と思われたが、今はそんなことはない。むしろ今は、サッカーの日本代表戦の結果を知らなかったら、世間知らずと思われる。

今日その基準を作っているのは、新聞の一面かもしれないし、『ZIP!』や『とくダネ!』のようなテレビの情報番組かもしれないし、ヤフトピかもしれない。申し訳ないけれど、今のキュレーションメディアはまだその領域までは全然達していない。

そもそもの話として「普通の人がアプリをインストールするかな」とは思う。アプリをインストールしている時点で、すごい踏絵だと思う。

――ブラウザのほうが楽だということですか。

アプリとブラウザの違いを意識している時点で、もうマジョリティではない気がする。

――確かに。普通のおじちゃん、おばちゃんはそんなこと考えもしないですよね。

全くそういう発想はないと思う。

「壁」を破ったのはLINE

――その壁を完全に破ったのはLINEです。すでにユーザー数は4億9000万人となり、今は10億人を目指している。なぜLINEはここまで「おばけサービス」になれたのですか。

一般論で言うと、LINEみたいなアプリは一番ネットワーク効果というか、同調圧力がかかるので、あるレベルを超えると増えやすい。もちろん、初期にはベッキーさんに出てもらったテレビCMの効果や影響もあったと思う。いろんな国の普及動向を見ていても、人口比である一定程度を超えると、普及が加速する部分がある。ある種の密度、臨界点、大気圏外脱出速度みたいなもの。

LINEのようなサービスは、全世界に5億人ユーザーがいると言っても、世界にまんべんなくではあまり意味がない。ある国で密度が高く、それがじわじわ拡大していくほうが健全だと思う。

――キュレーションメディアだけでなく、「ネイティブ広告」もメディア業界のバズワードになっています。

一番謎なのは、広告主サイドから見たときに、どういう期待値があるのかがわからないこと。あと、雑誌は極めてネイティブ広告的なことをもう20年ほど前から延々とやってきている。ネイティブ広告を否定するわけではないが、雑誌を経験した身からすると、あまりに古典的な常とう手段にただラベルを張り替えているようにも見えて、何がそんなに興奮するほど新しいのか、正直わからない。

ネイティブ広告は、ちょっとフェアトレードに似たところがある。フェアトレードというのは、暗に自分たち以外を逆説的にアンフェアトレードと言っていることになる。なにかおかしい。

――ネイティブ広告と言うと、ネイティブ広告以外の広告は、ノンネイティブだということになってしまう。

ただ、雑誌の例でいうと『BRUTUS(ブルータス)』で車特集があったとすると、車特集が終わったあとにセンター見開きで車の広告が載っていたりするじゃないですか。それは純広告だけれど、極めてネイティブ、広告としてはネイティブ広告そのもののような気もする。

だから、ネイティブ広告と言うと、本質的にその文脈なり、目線の動きなり、読者側の目線なり、心の動きなりを読んで受け入れられるようなタイミングで広告を出しましょうという当たり前すぎることを言っているだけという感じがしてしまう。だからラベルを貼ることに興味はなくて、そのエッセンスを感じ取り、場面場面にどう応用できるか、という当たり前のことが大事なのだと思う。

――日本のマーケティング用語は、ラベルが貼られて換骨奪胎されてしまい、陳腐になってしまう傾向があります。

それは、バイサイド、最後の最後の買い手のところで、そうしたラベルに騙されてしまう人がいるから。もう意味不明に田舎のスーパーで高級ブランド品って貼ってあるじゃないですか。あの世界ですよ。ELLEって書いたスリッパが田舎のスーパーマーケットで売られて、田舎のオバちゃんが「ブランド品だ!」と思って買う、そういうレベルのダサい世界。

マーケターはものすごくニーズがある

――日本の広告の買い手は、目が肥えてないということですか。

そう。メーカーも普通の事業会社の広告戦略、マーケティング担当は、ある意味で仕入れ担当だから目利き担当なのに、そうやってダサいキャンペーンなり、ダサい枠を買っていることに対して人事的に「バツ」がつかない。それは、そもそもありえない話。

――では、広告の売り手も悪いけれど、買い手のレベルが低いことが問題だと。

売り手の立場からすれば、買う人がいる以上、それはそれでビジネスだから売るのは、究極的に仕方ない。根本的には、バズワードに載せられて踊らされて、おカネを出す人が減るしかない。

――そのためには、日本のマーケターのレベルアップが必要ですが、そもそも日本ではマーケターが花形の職業になっていない。ただし今後は、一流のマーケターの需要は確実に上がりますよね。

事業サイドのマーケターには今後ものすごくニーズがある。インターネットが出てきて、デジタルマーケティングの手段が増えたお陰で、事業会社にとっては、今は潜在的なオプションや戦略のバリエーションがものすごく増えた。

例えば、以前はメーカーが動画のチャンネルを持つ事はありえなかったが、今はユーチューブで簡単に動画を出せる。そういうことを考えると、センスのある人材がいれば、インハウス(企業内)でできることの可能性はすごく広がっている。その意味で、センスのある事業サイドのマーケターの潜在的な価値はもの凄く上がっている(第5回に続く)。

(撮影:風間仁一郎)