【増村岳史】藝大生の思考法から、私たちが学べること
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ビジネスは本来アートとサイエンスから成り立つものだと思います。ただ、自戒の念を込めんていえば、サイエンスの部分は教えやすいですが、アートの部分はそうでない。結果としてビジネス(スクール)=分析、ロジックのみ、という認識になってしまったのではと思います。「論理的な思考のみだけだと全てを言語化しようとする。そうすると物事の本質が見えなくなってしまいます」という意見には個人的には反対で、手あかのついたはやり言葉で言語化しようとするからそうなるだけのことだと考えています。ビジョンとか理念とかを本当に伝えようとすれば、アーティストと同じくらい訓練し、悩むべきなのではないでしょうか。
アート&ロジックの講習に参加しました。私自身、幼稚園児並みの画力でしたが、絵を描く技術を教えてもらったことにより、自画像を描けるレベルになりました。その後気が付いたのは、自分が理系の人間でなく、感性の人間だということ。自分のことがより理解できたことで、仕事の幅も広がりました。
スマホで写メができるようになったことで言語も描画も人類は退化方向に向かうのかも、と思っていました。
写メがない頃は自分が見たものを誰かに伝えるためにはいろんな言葉や、時にイラストを描いて伝える必要がありましたが、今はその必要がないので。
しかし、考えてみれば一方で、SNSで短文を発信したり写真にキャッチーな言葉を添えるなどのかつてはなかった言語習慣ができているとか
うちの子らを見ていると、スマホ画像を拡大してレイアーを重ねてなぞることで写実的な絵を素早くタブレット上に描いたりしていて
かつてとは異なる言語、非言語コミュニケーションの方法を身につけているのかもしれないと思うようになりました。
SNSによって少なくとも発信者、発言者は増えているのは間違いないでしょう。
ただその分、ほとんどの発信、発言はジャンクなものとしてスルーされていくでしょうし
検索すれば元ネタがバレるので、コピペで自分を飾り立てても尊敬はされません。
そうなってくると、独自の観察眼で一次情報に触れて、それを単に写実的に表現するのではなく
抽象化させたメッセージとして他者に伝えることができるということが頭一つ抜ける要件となります。
アートの世界からそうした圧倒的なオリジナル性の洗礼を受けることは、
「もっと私の話を聞いてほしい、もっと注目してほしい」という欲の強い私のような人間にとって
必要なことのように思います。私自身は映画を見ることで自分にいつもダメ出ししていますが。