2021/12/17

決め手は「音」。なぜマスターズ王者は日本のギアを選んだのか

NewsPicks Brand Design chief editor
2021年、マスターズを制覇した松山英樹選手が使用したのは、住友ゴム工業が展開する「スリクソン」ブランドのゴルフギアだ。そして、世界のトッププレイヤーに選ばれる高性能ギアの裏には、最先端のゴム技術がある。住友ゴムのタイヤ開発の技術は、ゴルフやテニスなどスポーツ分野でも発揮されているのだ。
では、世界のトッププレイヤーに選ばれるゴルフギアは何が違うのか。「ゴム」の技術の重要性とは。開発の現場に迫る。

初の国産ゴルフボールも住友ゴム。90年超の歴史

2021年4月、松山英樹選手が10回目の挑戦で、ついにマスターズ・トーナメントを制した。男子プロゴルフ界「4大メジャー」で日本人選手が初の優勝という快挙に、ゴルフを愛する多くの日本人が沸き立った。
そんな松山選手がアマチュア時代から使用するのが、住友ゴム工業(以下、住友ゴム)が擁する「スリクソン」ブランドのゴルフギアだ。現在ではゴルフ用品使用契約を結び、ボールやクラブの開発にも携わる。
松山英樹選手。<優勝歴>日本8勝(国内メジャー1勝含む)、米国7勝(海外メジャー1勝含む)、2014年 ザ・メモリアルトーナメント、2016年 WGC HSBCチャンピオンズ、ウェストマネジメント フェニックスオープン、2017年 WGCブリヂストン招待、ウェストマネジメント フェニックスオープン、2021年 マスターズ・トーナメント、ZOZO CHAMPIONSHIP。
とはいえ、「ダンロップ」や「スリクソン」ならともかく、「住友ゴム」と聞いてスポーツ用品を思い浮かべる人はあまり多くないだろう。
しかし、実は1930年に初の国産ゴルフボールを生産したのは住友ゴムだ。その歴史は90年を超える。ゴルフクラブの生産を開始したのも1964年と、50年超の歴史がある。
ゴルフボールやゴルフクラブ、テニスボールなどの製造・販売のみならず、住友ゴムはウェルネス事業としてスポーツクラブを運営。ゴルフトーナメントを運営するグループ会社も持つ。幅広くスポーツ事業を手がけているのだ。
1930年、住友ゴムは日本初のゴルフボールと硬式テニスボールの生産開始。写真は「DUNLOP65」(1935年発売)。
ここで気になるのは、なぜタイヤメーカーがゴルフ用品を作るのか、ということだ。住友ゴムでゴルフギアの開発に長く携わる、スポーツ事業本部 商品開発部の神野一也氏がその答えを持っている。
「たしかにゴルフボールは白く硬く、一見するとゴムと無関係にも見えます。実際、ボールの一番外側、『カバー』と呼ばれる白い部分は樹脂素材でできていますが、そのなかに収まっている『コア』はゴム製であり、住友ゴムの技術が生かされています。
住友ゴムといえば、タイヤを真っ先に思い浮かべる方も多いでしょう。最終的にどんな製品を作るかで、使用するゴムの種類や、成形する際に混ぜる材料などは異なるものの、タイヤとゴルフボールで共通する部分もたくさんあるんですよ」

ゴルファーの矛盾する欲望。「遠くまで飛ぶ」「ピタッと止まる」

神野氏によれば、ゴルフボールに求められる性能は大きく分けて2つ。「遠くまで飛ぶ」こと、そして「ピタッと止まる」こと。
「矛盾するようですが、1打目で飛ばせるだけ飛ばしたほうが、残りの距離が短くなって楽になります。
2打目以降はピンを狙って、より短い距離を刻んでいきます。なるべくピンに寄った状態で狙った位置につけるためには、プレイヤーの意図通りに止まる性能も求められるということです」(神野氏)
相反する機能をあの小さなボールで併せ持つために、止まる=タイヤのグリップ力を転用するなど、住友ゴムの技術が生かされているのだ。
よりよいゴルフボール、ゴルフクラブを生み出すためには、トッププレイヤーからのフィードバックが欠かせない。神野氏自身、開発を通して松山選手とは7年以上の付き合いがある。
コロナ以前はアメリカに出向き、松山選手とともに実際のPGAツアーのコースでテストを行うこともあった。一般的なコースできちんと飛び、止まっても、コンディションの難しいコースでそれが再現されなければ意味がないからだ。
「新しい試作品ができたら、テストに最大限協力していただき、その結果を製品へ反映させるサイクルができあがっています。
本番の何日か前に一緒にコースを周り、『いいですね。今回はこれでいきます』と、新製品を選んでいただいたこともありました」(神野氏)
選手に本番さながらの環境で試用してもらうのは、ボールやクラブの性能を確かめるのに最適なシチュエーションというわけだ。

トップ選手からの意外なオーダーは「澄んだ音」

住友ゴムは、松山選手に限らず、中嶋常幸選手、星野陸也選手、小祝さくら選手など、多くのプロ選手の声を取り入れながらゴルフギアを開発してきた。その傘下には「スリクソン」と「ゼクシオ」という2つのブランドが並立している。
「スリクソン」はプロ選手や、アマチュアであっても中上級者志向のブランドだ。初速が速く、飛距離も伸びるが、ギアやゴルフそのものの知識があるほうがより性能を引き出せる。
一方の「ゼクシオ」は、どちらかというとエンジョイ志向のゴルファー向け。テクニックを駆使するよりは、オートマチックに飛ばせるように設計されている。
スリクソンとゼクシオのゴルフクラブ。
「単純に『飛べばいい』『止まればいい』ではないのも、ゴルフボール開発の面白い部分です。先輩社員からも話を聞いていましたが、私自身がプロ選手との付き合いで学んだのは、強い人ほどこだわりが強いということです。
数字で測れる性能だけでなく、感性に訴える部分についても、です」(神野氏)
「ゴルフボールと感性」。一般人にはなかなか理解が及ばないが、たしかに使用するクラブやボールによって、打ったときの感触には違いがある。ちなみに、松山選手からのオーダーは「パターで打ったとき、澄んだ音が鳴るようにしてほしい」である。
iStock.com/Deklofenak
ゴルフをプレイしている人であれば、打ったときにいい音が鳴れば、気持ちよくプレイできる感覚は理解できるだろう。
しかし、プロの場合、音は「快・不快」以上の意味を持つ。松山選手が音にこだわったのは「音が自分のイメージ通りに鳴らないと、イメージ通りに打てない」から。こうなると、音も成績を左右する重要なポイントなのだ。
「クラブをこう振ると、ボールからこんな音が出て、ボールはこう転がる。それを脳内で克明にイメージできる選手だからこそ、世界で活躍できるのでしょう。
それに感心させられたものの、最初のうちは『澄んだ音』がどんな音を指すのか捉えかね、試作したものを持っていっても『ちょっと違うんですよね』と」(神野氏)
困難な開発の道のりのはじまりだった。

「このボールだから勝てた」と言われるようなボールを作りたい

なんとかして松山選手に納得してもらえるボールを作る。その過程では、タイヤ事業での研究成果も大きく貢献した。
住友ゴムのタイヤ研究における総本山、タイヤテクニカルセンターでは、「なるべく音がしないタイヤ」の研究も行われており、音の反射がほとんどない「大型無響試験室」も備える。その試験室へゴルフボールを持ち込んで、音の計測や分析を繰り返した。
住友ゴムが有するタイヤテクニカルセンターにある、音の反射がほとんどない「大型無響試験室」。ここでゴルフボールの音の計測や分析が行われた。
また、住友ゴムでは、ゴルフクラブの設計開発も行っている。特にゼクシオクラブは音へのこだわりが強く、打球音の解析技術が備わっていた。このノウハウも活用し、ゴルフボールの音の開発を行ったのだ。
具体的な設計のアプローチについては社外秘とのことだが、ようやく松山選手の求める「澄んだ音」にたどり着いた。
できあがった4層構造のボール「スリクソン Z-STAR XV」は松山選手の求める水準をクリアしただけでなく、ほかのプロからも「音が違う!」と嬉しい驚きを持って受け入れられたという。
完成した4層構造のゴルフボール「SRIXON Z-STAR XV」。
なぜ選手たちはここまでゴルフボールにこだわるのか。
一般的な球技では競技の公式ボールがあり、選手自身がボールを自由に選ぶことはできない。一方、ゴルフの場合、規定を満たしていれば選手はどんなボールを使ってもよい。つまり、「合う」ボールを見つけることが戦績に直結するのだ。
となれば、メーカーとしては、「このボールだから、勝てた」と言われるようなボールを作りたい。
「そんなプレッシャーがあるからこそ、トッププレイヤーとともにいいボールを作り上げられたときは本当に嬉しいです。
『澄んだ音』のボールは、試合中の解説でも、その音に言及されるほどのものができました。中継を見る機会があれば、ぜひ注意して聞いていただきたいです」(神野氏)

ゴルフを通じて多くのヨロコビを生み出し続けたい

このような紆余曲折を経てゴルフボールは開発されているが、各メーカーが切磋琢磨するなかで性能はどんどん向上し、かつ、規定があるため、数字で表れるような性能差を出すことは難しい。
それでも他社に競り勝つためには、常にイノベーションの種を探さなければならない。
2020年、住友ゴムが企業理念を再編・整備した「Our Philosophy」のなかで、パーパス(存在意義)は「未来をひらくイノベーションで最高の安心とヨロコビをつくる。」と定義された。
「自分のこれまでの仕事を振り返ると、パーパスに沿ってやってこられたなと安心する部分もあるし、まだまだイノベーションを続けていかなければと気が引き締まる部分もあります。
松山選手をはじめ、多くのプロ選手と話していると、特に感性の部分でのイノベーションにはまだまだ余地があると感じます」(神野氏)
住友ゴムはジュニア大会に参加する児童や生徒からも声を拾い、アマチュアをサポートする体制も整えている。
松山選手のようにわずかな違いを捉えられる、いわば非常に優秀な「テスター」からのフィードバックをもとに、選手や趣味として楽しむ人たちに、性能だけでなく、感性に訴えかけるボールやクラブを提供する。それができるのが住友ゴムの強みだ。
ダンロップジュニアゴルフスクール(2019年8月5日撮影)
「直径5センチに満たない小さなゴルフボールですが、そこにはタイヤ研究開発の蓄積も生かされている。住友ゴムの歴史や積み重ねを背景にものづくりに携われる環境は、手前味噌ながら素晴らしいと感じています。
モノとしての性能を高めるだけでなく、これまでになかったヨロコビを生み出す。それが住友ゴムのものづくりです」(神野氏)
トッププレイヤーを支え、支えられながら、より多くの人にゴルフを通じて、ヨロコビを提供していく。私たちの知らない「ゴム」の世界の可能性は、これからも広がっていく。