ADandMEDIA_田端信太郎_第3回

流通がマーケティングの中心になりつつある

マーケターは恥をかく覚悟、クビになる覚悟を持て

2014/10/1
テレビ、雑誌、新聞、ウェブメディアで取り上げられれば、モノが自然と売れる――そんな時代は終わりつつある。では、ソーシャル、モバイルの普及により、マーケティングのあり方はどう変わっていくのか。LINE上級執行役員として、広告営業や法人ビジネス全般を統括する田端信太郎氏に、マーケティングとメディアの未来について聞く(全5回)。
第1回 バズワードで荒れる、日本のマーケティング
第2回 バイラルメディアは二重の意味でダサい  

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――これからのデジタルマーケティングにいちばん求められるものは何でしょうか。

いちばん大事なのは「恥をかいても逃げずに向き合い続けようぜ、間違えたら間違えたで謝ったらいいじゃん」みたいなメンタリティ。

たとえば数年前から言われている流行の「カンバセーショナルマーケティング」という「ラベル」の裏にある哲学・思想を僕なりに解釈すると、サラリーマン根性を捨てて生身の人間としてネットの向こうにいる人たちと逃げずに向き合い続けましょうよ、会話しましょうよ、ということだと思う。

その覚悟なしに、カンバセーショナルと言って美しくやろうとしてもダメ。恥をかく覚悟、失敗をする覚悟がないとダメ。もっと言ったら、クビになる覚悟がないとダメ。ただこれは、クライアントに対して、普段のプレゼンの中では絶対言えない。僕もこれは言えない。だって、向こうはお客として来ているので。

今のKPIの定め方は煮詰まってきている

――書籍の中では、「コントロール」「アンコントロール」という軸でマーケティング方法を分類しています。

「コントロール」「アンコントロール」というのは、「クビになる覚悟はありますか、恥をかく覚悟はありますか」というのをすごく美しく言った言葉。僕なりに言うと、「アンコントロール」というのは、列車がダイヤの進行通りに進むように、プラン通りにマーケティングのKPI(key performance indicator)が出ているというのは、今どきは別にかっこいいことではないんですよ、ということ。「アンコントローラブル」が増えているのに、コントロールしようとするやり方はもう煮詰まってきている。

その典型例が、ネットマーケティング。たとえば、ネット証券のマーケティングの場合、1口座のCPA(獲得費用:Cost Per Acquisition)が3万円以下のメディアしか広告を打たないと決めたりするが、馬鹿の一つ覚えみたいに同じモノサシで全てのメディアを評価することに、本当に意味があるのか。

そうしたやり方は、顧客のライフタイムバリューを加味していない。つまり、口座を作った後に、一回も取引しない人もいれば、5〜10年取引する人もいる。それなのに、そういう部分を脇に置いて、入口の時点だけで区切っている。それでは全然意味がない。入口の部分だけで区切るのは、要は、サラリーマンとして数字で測りやすい、上司に報告しやすいからにすぎない。

――KPIの定め方が甘い、厳密でないということですか。

甘いというか、形式主義に陥っている。本質に向き合い続けることから逃げて、とりあえず「CPAが3万円以下なら何でもいい。」というような形式に逃げている。

――そうした形式主義にすぐ陥るのは、企業側のマーケティング担当者のレベルが低いということですか。

メーカーのマーケターや広報宣伝部のプロとしてのレベルが低いというのはある。人事ローテーションがあるのでプロが育ちにくい。はっきり言うと、広告代理店にいいようにやられている例は多いと思う。

だから、今回の本も、広告宣伝とかマーケティングのセクションの人だけでなく、普通の人にも読んでほしいという思いがすごくある。そうでないと今の状況は変わらない。ある意味、よくも悪くも、既存の広告宣伝部やマーケティング部は、既存の広告代理店とくっ付いて共犯関係になってしまっている。

――企業の中で、マーケティングの機能や予算が、広告宣伝部から事業部に移る流れが生まれています。

それは悪いことでは絶対ないと思うし、必然だと思う。

以前は、1社提供の『パナソニックドラマシアター』や『東芝日曜劇場』のように、マス広告の枠を先に押さえて、社内向けに広告代理店のようなことをやるのが広告宣伝部の存在意義だった。しかし、今はそんなことをしなくても、マス広告枠の貴重さ自体が、相対化されてしまった。だから、大企業でも、事業部サイド、もっと言うと、プロダクトサイド側に広告枠やマーケティング施策の発注や実行の権限が移るのは当然のこと。

いまや流通が主役に

――そうした流れとともに、マーケティングのプロを育てる機運も大企業の中で高まっていますか?

大多数の保守本流のところはあまり変わっている気はしない。変化しているのは、トップの1、2割ぐらい。

先ほどの事業サイドへのシフトに関連して言うと、今は、広告やマーケティングにおいて流通の力がものすごく強くなっている。消費財であれば、コンビニにどう置いてもらえるか、電機メーカーであれば、ヨドバシカメラやビックカメラにどう置いてもらえるかが成功のカギとなる。そこがダメだとゲームオーバー。すべての起点が流通になりつつある。

だから、1社提供のテレビのスポンサーをするよりも、今度のキャンペーンでどうやって流通の棚を取るかのほうが大事になっている。

――なぜ流通の力が強くなっているのですか?

結局はいま、生産されている商品の多くが差別化のされていないコモディティだからだと思う。

飲料の例で言うと、約30年前に、烏龍茶が発売されたときは、それ自体がありがたいものだったかもしれないが、今は、コモディティになってしまった。プライベートブランドの烏龍茶とメーカーが作っているブランド物の烏龍茶ではたいして違いがなくなっている。であれば、流通を押さえている商品が売れる。セブンプレミアムのようなプライベートブランドがその典型例。

つまり、チャネルをどう押さえるかのほうが、プロダクトをどう作るか、広告するかよりも大事になっている。消費者も、品質に劇的に差があれば「なんだよこの小売店」となるが、今は品質に差がないため、「便利なところにあって安ければいい」というふうになってきている(第4回に続く)。

(写真:風間 仁一郎)