新1年生にランドセル配布へ、市長公約「小学校生活の格差なくしたい」
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別に悪い話ではないと思いますけどね。
ただ、僕が小学生の頃(もう20年以上前)も地元では3-4年生位になったらみんなランドセルやめてもっと使いやすい思い思いのリュックにしてました。当時はなんだかランドセルがおこちゃまでダサく見えてランドセルを卒業出来てリュック背負いながら嬉しく友達と走り回ってた記憶があります。あれはあんまり一般的ではなかったのかな?意外と緩い時代だったから許されていたのか。(ちなみに神奈川県でした)
そんな小学生時代を過ごしたので、ランドセルで格差なんて考えたこともなかったです。
注目のコメント
そろそろ「みんなと一緒」は考え直したら。
家庭の経済的理由で「格差」を感じることは、可能な限り避けたい。が、ランドセルを統一させるというのも、いかがなものか。
そもそも統一されたランドセルって、どうなんだろう。「みんなと一緒はイヤダ」という子の、その想いはどうしてくれるのだ。もちろんソレは、制服にもいえる。
若い頃は「抑圧される」ことで、反骨心が生まれるという側面もある。が、もはや時代は世界に広がっている。制服だ、ランドセルだ、そんなモノで同じ型に閉じ込めることのデメリットの方が大きくないか。
経済的に恵まれない子供たちを支援する本質的な方法は、ランドセルを配ることではない、と思うけど。先日制服を作っている会社を取材したことがある方と話していました。そこで、「制服はセーフティネット、丈夫な制服が1着あるおかげで、学校でも格差が見えにくくて、子どもが通うことができます」というような話が出てきて、制服もランドセルも前近代的な感じがするけど、悪いことばかりではないのかもしれないと思いました。
他にも配るものある気もしますが、ランドセル配布で格差に取り組むというのは妥当なアイデアと思いました!切実に早くランドセルがなくなるといいと思ってます。狭い家なのに何も入れてなくてもかさばる。6年過ぎたら確実にゴミじゃないですか。もったいない。「リュックでいいよ。」が一番ありがたいです。