南アフリカのデクラーク元大統領死去 アパルトヘイト政策を廃止
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注目のコメント
物事というのは実は始めるより、終わらせることの方が遥かに難しいものです。
南アフリカでアパルトヘイトが始まった元々のきっかけは、第二次世界大戦後黒人への融和を進める政府に対し、それまで対立していたイギリス系の白人とオランダ系のアフリカーナーと呼ばれる白人が手を組み国民党を結成、自らの地位を守るために政権を奪取したことにはじまります。
歴史的な経緯から首都が3つもあり、公用語だけで11語、イギリス系白人、フランス系白人、オランダ系白人のアフリカーナー、アジア系、インド系の混血カラード、そしてズールー、ツワナ、コサなど黒人諸部族が混在するモザイク国家南アフリカにとって、歴史的に統治とは力で押さえつけなければ到底なしねないものであり、民族の協調と融和は言うがやすし行うが難しのものだったのです。
アパルトヘイトの廃止は一歩間違えれば他のアフリカ諸国と同様、民族の対立によって内戦になりかねない決断でしたが、国民党最後の大統領となったデクラーク氏はその重大な決断をし、マンデラ氏と共にほぼ無血でその革命をやり遂げました。
デクラーク氏の決断なかりせばマンデラ氏もなく、今の南アフリカ共和国もなかったことでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。「ラグビーかと思った」というコメントがありましたが、選手で同名の人がいましたね。オランダ系南アフリカ人に多い名前かなと思います。南アフリカは、黒人と白人というだけでなく、白人の間でもオランダ系、英国系の違いがあり、インド系、移民の人達とさまざまな人達がいる、多人種多民族国家です。
南アフリカを曲がりなりにもBRICSと並び称されるほどの国力に引き上げる礎を築いた偉業は素晴らしいと思います。
マンデラ大統領が南アフリカで初となるラグビーワールドカップを開催したとき、歌詞が英語を含む5ヶ国語からなる南アフリカ国歌を代表チームの選手に斉唱させるために大統領自身が乗り出し大変な苦労をしたと言われています。
逆に、そうでもしないとモザイク国歌をまとめ上げることができないほどに統治するのが難しすぎる国だということなのでしょう。
ご冥福をお祈りします。