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「コロナ貧困」といわずとも、「貧困ビジネス」の拡大は従来から起きていました。「構造改革」と軌を一にして、2001年前後から拡大し続けてきました。
 格差の拡大、というだけではなく、特に底の方がワーキングプアなどと呼ばれるようになり、「底が割れた」状況になりました。途上国でスラムが拡大していった時期に似ているし、さらに状況が進めば、「シェアハウス」は都市スラムになっていくでしょう。

背景をいえば、プラザ合意、日本企業の海外進出、産業の空洞化、中国経済の台頭、デフレの長期化、で、日本政府でも対処しきれなかったくらいの「構造問題」です。

「貧困ビジネス」に類することは、実のところ世界中にあって、政府が底の人々を助けず、犯罪シンジケートがタコ部屋に詰めて強制労働や性産業に従事させる、というのは、ほとんどの国で起きていることです。
 日本でも、戦前はもちろん、1950~70年代でも多数見られたことです。そうであるからこそ、日本でどれだけ「貧困」が進んだのかは、数字で把握されるべきです。数字でとらえにくい部分は多いのですが。
 1980~90年代に減った貧困ビジネスが、2000年代から増えているようには見えます。ただ、この時期に新しく日本社会に加わった外国人労働者170万人(現在の数)なども大きな要因になり、1970年代以前とは違う形態をとっています。
 ヤクザのシノギの消滅、半グレの台頭、ヤクザまがいのNPOなども、新たなアクターです。
 そして、教育、精神疾患や地域社会、家族のあり方の変化なども大きなファクターです。

政府が助けないから、犯罪シンジケートが囲い込むのですが、社会の底の方まで助ける国家というのは、世界でも稀です。というより、実例が思い浮かびません。
 何かのマグレで国内に雇用が戻ってくるか、政府がよほどの予算を取って貧困層を支援するかしないと、貧困ビジネスはなくならないでしょう。
 「自己責任」か政府の責任か、といった責任の所在を問うことにはあまり意味が無くて、政府が予算を取って支援すれば貧困ビジネスに囲い込まれる人数が減る、ということは予測できます。有権者の支持を含め、政府にそれができるか、ですが。
 単に生活保護の拡大だけでは、救われない人もいるでしょう。精神疾患や障害を抱えていても、1人で生きていける雇用を用意する、といったことも必要になります。
貧乏と貧困は違うと理解しました。貧乏なのはまだ自分の努力で改善できる状態、貧困は自分の力だけでは抜け出すことのできない状態。貧困の現状は個別性が高く、原因が多岐に渡るので、一つの解決策(例えば、生活保護の窓口での対応マニュアルを改善する)だけでは解決できない。生活保護であれば、生活保護を受けることを恥だと思わないように当人の認識を変える、社会が生活保護受給者を全て不正受給者と見るような偏見をなくす、ケースワーカーを増やすための予算を確保するなどが必要なんですね。
こういった貧困の現状を伝える記事も重要だと思いますが、自治体やNPOなどの活動でうまくいっている事例も伝えて欲しいです。
経済の語源は経世済民で「世を経め(治め)、民を済う(救う)」。エコノミクスの語源もギリシア語のオイコノミコスで、家・住まいの慣習・法。
その観点で、貧困は経済メディアのなかでも必須の領域だと思う。

この領域について詳しくないのだが、個人的には特に若年層がより重要だと思っている。なぜなら、これから生きていく期間が長いから。職業訓練校などと併せた宿舎の提供や、OJT・給与と併せた提供などができないのだろうか?学生寮がある場所とかもありそうだが、空いている団地などと併せてもっと提供ができないものか。
正直、ESGのなかで個人的にはSが一番重要だと思っている(ぜひ下記の「S投資」についてのみさき投資・中神さんの記事も併せて)。そしてそれは雇用や納税も含む。大企業は障がい者を一定の比率で雇用する義務がある。それと同じように、リスキリングのスポンサリングを伴う雇用などを現実論として導入するにはどういうボトルネックがあるのだろう?
https://newspicks.com/news/6284793

なお、個人的にはルポタージュは一個の方法としてあると思うが、変えていくためにはどうするかという具体とか、その具体が実現されるために何が必要か、何が阻害しているのかを知りたい。
テレビのドキュメンタリーもそうだが、感情的共感を呼ぶために断言や強い表現が多いことは、好きではない。断言している部分も一側面ではあろうが、世の中は複雑で「一般化して断言」することは、具体に落とし込むためにはデメリット・リスクが多いと思う。それはルポもそうだし、選挙での呼びかけもそう。
共感は、共感をしない人からは反発を呼ぶリスクも伴う。でも変えるには、共感を強めるだけでなく反発を少なくすることも一つの方法。下記などでコメントしたり、そこでも紹介した「共感という病」という本は、個人的には最近読んだ本の中でよかった。
https://newspicks.com/news/6196254
https://newspicks.com/news/6225337
共感という病:https://amzn.to/3kizOkC
今回の公明党の給付金問題でも明らかになったように、政治家は本当に救いの手を求めている人達を透明化し、そんなものは日本に存在しないかのような態度を取った。これは本当は大問題なのに、論点が自分がもらえるかもらえないかの話にすり替えられ、元々それほど生死の問題ではないレベルの国民同士のいざこざしか可視化されなくなった。それを狙ってやったのか知らないが、これは透明化された人間がいたことを隠蔽する効果もある。
本当に困っている人は声をあげられず自己責任だからと我慢して死んでいく一方で、たいして困っていない人達が不公平だ、不平等だ、と大きな声をあげて、本当の弱者に振り分けられる金さえがめようとする。彼らもまた本当の弱者が可視化されては困るのだ。
貧困はこうした「人間の透明化」というアウシュビッツに近い恐ろしい思想に問題があるということを多くの人が認識した方がいい。
「貧困」を個人の責任に課す。
これが現在の日本の姿

日本の生活保護の捕捉率は欧米に比べて低く、受給のハードルが非常に高いという事実は何を示しているのかもう一度考えるべきでしょう。

私はやはり、雇用の構造には早急な見直しと改善が必要であると考えます。国民の人権を第一に尊重し、誰もが安心して働ける環境を作らない限り貧困の問題解決にはつながらないのではないでしょうか
生活保護の水際作戦は、以前から指摘されてきました。

何十年も交流のない親族に連絡がいくことも、生活保護申請をためらう一因となっています。
(公的扶助を受ける前に私的扶助の可否を調査するためです)

それにつけても、住居の貧困がこれほど存在する一方、空き家問題がクローズアップされていることに、大変な違和感を覚えました。
生活保護等の公的扶助にスティグマ(汚点・社会的恥辱感)をつけて、福祉受給者を賃金労働に追いやる手法は、1800年代前半から行われてきた古典的な手法です。

もう少し噛み砕くと、もし生活保護が簡単に恥じらいもなく受けられる社会であれば、多くの人が働かずに生活保護を受けて生活をするため、失業率が高まってしまい国として望ましくありません。そのため、ある程度の負のイメージを公的扶助につけ、生活保護を受けるぐらいなら労働を頑張ろうと、国民に思わせる思惑が根底にあります。

しかし、本当に生活保護を必要とし困っている人が、助けを求める事を躊躇してしまうほど強いスティグマが、同調圧力の強い日本社会において存在してしまっています。このスティグマの存在は、国の再配分機能を著しく損なっており、制度として欠陥があります。

この問題への一つの解は、「就労条件を義務付けた生活保護」だと考えます。受給年数に制限を設けるのもいいでしょう。賃金所得がない人への公的扶助が労働意欲を阻害されるという国側の懸念は、就労条件の義務化で解決されます。またこれを、求職者が次の仕事に就くまでの「移行過程を支援するプログラム」とリブランディングできれば、生活保護へのスティグマ・マイナスイメージも軽減されるのではないでしょうか。
ホームレス状態になった人しかり。一人ひとりがそこに至った背景を見ていくと、決して『自己責任』では片付けられないことに気付く。

『「住む場所すら失って生活保護を申請するような人には収容所のような無低もやむを得ない」「低賃金で不安定な仕事でも仕方ない」。
このような考え方が、「公助」が乏しくてもいいのだという態度にお墨付きを与えてしまっているような気がしてなりません。』
貧困には、個人の努力だけではどうにもならないところがあります。
社会には一定のセーフティネットが不可欠で、貧困者を貧困者のままとせず、インクルージョンする社会のが結果として社会的損失が少なくなります。

「誰もが、ある日、突然どん底まで転げ落ちる」、そう思っています。
子育て支援、労働力不足と言いながら、社会の底が抜けていることに目をつむる公には期待できません。公助が望めない現在、共助を進めるしかありませんね。