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ジャック・マーの出生からアリババ創業までのストーリーを追った全5回連載
第1回目 ジャック・マーがヤフーとの提携を後悔した日

富豪になっていなかったら殺してくれ

マーは中国東部の浙江省杭州で生まれ育った。3人兄弟の真ん中で、両親は蘇州の伝統芸能、評弾(ピンタン)の演奏者だった。

近所の人は、問題児で反抗的な子どもだったと言うが、早熟だっただけかもしれない。10歳だった馬雲少年は、英語に興味を持ち、杭州ホテルに自転車で通って外国人の観光客相手に英語の練習をした。この経験で世界に目が開かれたと後に語っている。

数学が苦手で全国統一大学入試に2回失敗したマーだが、3回目にようやく合格し、地元の杭州師範学院(後の杭州師範大学)に入学した。ここで優秀な成績を収め、学生会長も務めた。1988年に卒業すると、杭州電子工業学院(現杭州電子科技大学)で月給14ドルの英語講師の職を得て、間もなく最も人気の高い講師として知られるようになった。

中国経済が離陸しつつある中で、マーは起業のチャンスをうかがっていた。友人によると、空き時間を使って翻訳会社を共同で創業し、医薬品を販売し、株式取引に手を染め、「35歳までに富豪になっていなかったら私を殺してくれ」と冗談を言ったこともあるという。

マーは1995年に初めて米国を訪問、シアトルでは杭州で親交があった英語講師の米国人、ビル・アホーの親族の家に滞在した。そこでアホーの義理の息子で、米国初のインターネット接続業者の1社だったVBNの経営者、スチュワート・トラスティーを通してインターネットの存在を知った。

トラスティーは、「当時私のオフィスはUSバンクタワーにあったが、そこでジャックにインターネットがどんなものか教えた。その頃のインターネットは主に政府や企業の電話帳のようなものだったが、彼は興奮しているようにみえた」と振り返る。

マーは帰国すると中国初のインターネットサービスの1つ、「中国黄頁(チャイナ・ページズ)」を興した。これは海外の顧客を探す国内企業を支援するオンライン電話帳事業だ。

元同僚によると、マーは企業をくまなく訪問し、写真を撮影し、情報を収集し、英語に翻訳するなど休む間もなく働いていたという。作業を終えると、インターネットに掲載してもらうため、企業のリストをシアトルのVBNに送った。

チャイナ・ページズでマーのパートナーだった1人、ユ・シャオホン(Yu Xiaohong)は、「当時中国ではインターネットという概念は知られていなかったので、インターネットを紹介してもまったく反響はなかった」と振り返る。

「協力してくれてもくれなくてもやる」

当初は苦戦したが、マーは楽観的だった。1996年にマーがシアトルのVBNを訪問した時に同行したアホーは、いずれ大成功を収める自信があったようだと語る。

「彼は高級住宅地クイーン・アン・ヒル地域を訪れ、さまざまな家を指さして、『金持ちになったらあの家やこの家を買う』と言っていた。当時は一文無しだったにもかかわらずだ」(アホー)。

ところが1996年、当局から杭州電信と合弁事業を設立するよう圧力がかかり、マーはチャイナ・ページズの支配権を失ってしまう。

失意のマーは北京で中国商務省傘下にあったインターネット広告代理店、インフォシェアで働いたが、14カ月しかもたなかった。自らの会社を経営したいという熱意を抑えきれず、杭州に舞い戻った。2005年のインタビューでマーは、「当時、政府で電子商取引の仕事をするのは骨の折れる仕事だった。電子商取引は民間企業から始めるべきだ」と語っている。

1999年2月21日にアリババを創業したマーは、杭州のアパート、レイクサイド・ガーデンズ(湖畔花園)の2階にあった居室に17人の友人を呼んだ。にわか作りの本部で、自らの野心についてとうとうと語り、中国には優れた新興企業が必要だと強調した。社名をアリババにしたのは、「アリババの物語を知らない人はいないし、進んで他者を助けようとした若者だからだ」と後になって説明している。

アリババの目的も、海外の顧客を探す中国企業を助けることだった。米国企業が中国製スリッパの仕入れ先をアリババ・ドットコムで探すかもしれない。韓国に製品を輸出しようとする中国のボタンメーカーは、アリババのサイトに広告を掲載できる。アリババを世界で取引を行う中小企業が集まるバーチャル会議室にしたいというのがマーのビジョンだった。

アリババがまだ創業間もないころ、ゴールドマン・サックスの銀行家だったシャーリー・リン(林夏如)がマーのアパートを訪ねてきた。エール大学を卒業した元弁護士でアリババに入社したばかりの友人、ジョセフ・ツァイ(蔡崇信)からアリババについて聞いたからだ。

現在は香港中文大学で教鞭をとっているリン(林)は、「即席めんの匂いが充満するアパートで、全員が不眠不休で働いていた。ジャックのアイデアは外国でも試されていたもので、完全に独創的というわけではなかったが、ビジネスを中国で成功させるという強い決意と献身的な姿勢に感銘を受けた」と語る。

(執筆:David Barboza記者、写真:Alibaba via The New York Times、翻訳:飯田雅美)

(c) 2014 New York Times News Service