なぜ日本人は環境・エネルギー問題に関心が低いのか──エネルギーアナリスト大場紀章さんに聞く
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洋の東西における自然認識の違いについては古くから認識されていますが、イバン・イリイチによれば、エコロジー活動や最近の気候変動問題における相違点の肝はそこではなく、キリスト教文化における「生命」と「責任」という概念のここ200年程の変化にあると言っていて、そこにヒントを得ています。
抽象的な意味での「生命」という言葉が登場するのは、1801年頃のドイツとフランスで始まり生物学の中ということで、それまでは自然の生気のルーツたる生命は即ち神だったのが、神によって生かされている考えが啓蒙思想により捨て去られ、生命概念が根拠を失いつつ拡大していったといいます。
そうなることで、世界に責任を持つ人間という概念が登場する余地が生まれます。そして、「法的な責任」という意味で長らく使われてきた「責任」概念もまた拡張されます。ドイツ語において、Verantwortungが法的概念を越えるのは1920年代のことだとイリイチは言っています。パーパスが控え目に儲けることだから?もしくは科学的思考があまねく国民に浸透しているから?
と思ったら自然(じねん、又はおのずからしかるべき(存在))でしたか。それは有りますね。無為自然が染み付いている日本人にとって、神を怖れなくも自然は対称性の対象でも、ねじ伏せる対象でも無く、無為こそ正しい共生だと身体が記憶しているのかもしれません。
ただE=mc2の世界観からすれば、魂が宿るのと同様、マスにはエネルギーが宿るのであっさり世界でも唯一無二な国になれるポテンシャルも有ると心の奥で期待してます。大場さんのインタビュー。脱炭素化をやれって欧米とか会社の上司に言われたからということではなく、きちんと自分で自分の意見を持って考えることが必要なのだと思います。