AIが賢くなり過ぎることに人類はストップをかけるべきなのか? ポストコロナのIT・未来予想図(第59回)
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注目のコメント
AI規制の話はAI自体の問題ではなく、データ処理の問題(犯罪抑制のためにプライベート空間とパブリック空間で取得したデータを処理することによる影響、及びデータの提供に関する同意は全く同意の理解が異なります)なのでこの辺りは分けて考えたほうが良いと思います。
倫理に関しては教育的な観点から議論される必要がこれから高まってくるかと思いますが、倫理だけでは解決しづらい部分もあり、ある程度規制を抑止力として適切な発展とは何かを考えていく時期ではないかと思います。AIを規制?多くの専門家からいろいろな見解が出されていますが、私の考えはAIの規制にはNo.の立場です。
問題の本質はAIを手段・ツールとして扱う人間側にあり、それぞれの人間の意図次第で社会に恩恵をもたらしたり、逆に悪影響を及ぼしたりするのです。
AIは大きく、システムに具体的な正解値を教師データとして与える『教師あり学習』、システムの学習結果に対する評価のみを教師データとして与える『強化学習』、システム内で教師データを生成する『教師なし(自己教師)学習』の3つに分類できますが、『教師あり学習』と『強化学習』は人間の意図・判断に直接依存します。『教師なし学習』は人間の意思によって与えられる入力データによって、間接的に依存するものです。
AIは悪者ではなく、人間の意図・価値観に左右されるものなので、あくまでも人間側の自制の問題として扱うべきです。2045年頃にはAIの能力が人間を超えてしまう予測。そんな未来の話を言われても、と思うかもしれませんが「たった24年後」の話です。
逆に今から24年前なんて少なくとも中年世代にはそんな大昔の話ではないはず。WindowsもMacもガラケーもすでに使っていた。プリウスが販売開始された頃。
今から24年後というのはそのくらいの期間です。量子計算によるleap frogで更にシンギュラリティポイントが早まるかもしれない。