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やっぱり、Markは凄いし、世の中変える人間は普通じゃない。いままでApple/GoogleのようなPlatformとしてエコシステムつくれなかったけど、MetaならOSとかつくれるし、AppStoreも作れる。

ただ、この頃、めちゃくちゃ、whistle blowerが多いのが気になる。Markにまだ観ぬ世界つくってほしい。
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「メタ」きましたね。

最近のスキャンダルやたたかれ具合から気をそらすための煙幕と捉える向きもあるようですが、これはいろいろな部門から、近未来への不可避な方向性として挙がっているものの検証を十分にした結果としての、総合的かつ戦略的なステップだと思います。

どうしてもまだデジタル世界と物理世界の接続は画面という2次元の窓を通した画像や文字、言葉といった低次元の情報でしかない中で、ゲームにしてもテレワークにしてもスポーツやコンサートにしても、より高次元(立体的、細かな動き、没入感)なサイバーフィジカル接続、要は画面(インターフェース:接面)という枠を通すのではなく、自分のいる空間そのものがインターフェース(つまりは接空間)になるという状況が次の段階として指向されていきます。一度高次接空間のプラットフォームを構築してしまえば、従来のような気軽な低次接続もいくらでも選択は可能。

そういう意味で、Facebookがここの旗を最初にとりにいくというのは、正しい選択というよりも必然でしかない。むしろ、現行モデルでは先がないことは、彼らも十分理解したうえでの判断でしょう。これからの情報インターフェースは空間。

ただ、メタバースのプラットフォームも結局は囲い込み型でビジネスは進んでいくでしょうし、現行のFacebookのビジネスモデルを相応に踏襲せざるを得ない体質が企業としてできてしまっている中で、どれだけ新しくオープンなユーザー体験を開けるかは全く未知数。そこで相当発想を変えていかないと、これで一気にシュリンクする可能性も十分あるでしょうね。

メタバースやさらにその先の双方向性インタースペース(僕はその一環としてのコモングラウンド構築を志向している立場ですが)には、相応のエッジ側ユーザー側のデバイスや通信、画像処理環境が不可欠になるのと同時に、建築や都市など環境側の相応のシフトチェンジ、しかも個別にばらばらの仕様ではなく、個々のサービスを跨いだ汎用仕様が相応に普及することも実効的な社会実装には不可欠です。エッジ側も環境側も負荷は高くなりますね。

それだけの社会実装を主導した上で、世界的なスケール感でサービス実装をするというのは並大抵の企業ではできない中、確かにFacebook(Meta)にはその可能性があるのかもしれません。一体何を出してくるのか、すごく期待値は高いです。
Facebookのレピュテーションが大きな打撃を受けている中の噂されていた名前変更。悪いニュースの注目を一部・一時的に拡散できるかもしれませんが、根本的な課題はまだとても大きいと感じます。

Mark氏は若者の獲得のためにもメタヴァースにかけているかもしれませんが、従来のソーシャルメディアーFB、instaがユーザーに提供している価値に対する利益有線の思想は問われ、若者はTikTok、チャット機能としてはSnapchatしか使いません。(リークした内部資料によると、10代のユーザーは、2019年以降13%減少し、今後2年間で45%減少すると予測されていたり)

果たして、次世代の信頼を獲得していけるのか。

各種FBアプリにログインする際も、もう今後はFacebookログインを使用しなくてよくなるとのことですので、あの青いロゴを見るのはどんどんと減っていく。なんだかそれだけで少し世界が綺麗になっていく感覚を抱くのは私だけでしょうか。。
GAFAMからGAMAMへ。Googleも実際はAlphabetだから、AAMAMが正しいか(笑)という冗談はおいておくとして、メタバースという確実に21世紀の人間の生活体験を大きく変えうる領域を先導する企業として「名乗りを上げた」というのは、個人的には大きな意味を持つと思っています。

デジタル世界の上にリアル世界が重なるという「アフターデジタル」の世界とは言っても、現状は基本的にはスクリーンという界面を意識した中で行き来しているに過ぎない。しかし、コロナ禍を経て、デジタル(サイバー)がそれと意識されず、リアル(フィジカル)との境界線が曖昧になった方が、人間にとってのあらゆる事象とのインタラクションが快適であり、心理的な抑圧を感じさせない可能性があることは感覚的に理解する人は増えてきているように思う。

そして、文字通りフィジカルとサイバーが「融合」する世界を体現するのはメタバースであると個人的に考えている。あらゆるテクノロジーは常に「人間の感覚と機能の拡張」と言えるが、距離と時間の概念を大きく変えるメタバースは、その最大形態と言っても過言ではない。

これまで「人間の感覚と機能の拡張」の最大形態は都市であったと私は考えるが、メタバースが提供する体験が、さまざまな要素技術の進化と、それに伴うデザインと実装の進化によって、まさにフィジカル感覚と融合するサイバー体験となり、その行き来がシームレスなものとして人間に認識されるようになれば、都市とそこにおけるさまざまな人間活動のあり方も大きく変わるであろう。
既に異なる複数のサービスを多角展開しており、また今後はメタバース領域のリーディングプレイヤーを目指すうえで、祖業であるサービスとしてのFacebookと会社としてのアイデンティティの密結合を解くのは大事な取り組み。
その上で社名変更は、副作用はありつつも象徴的な施策でしょう。

Webサービスは流行り廃りの激しい事業。17年にもわたって中心的な立ち位置を保ち続けていることが異次元。
SNSの場合は長く続けることでコミュニティが飽和し、かえって価値が下がるという面もあります。蓄積が必ずしもプラスに働かない。
この点、Facebookの凄みは、サービス運営者としての素晴らしさもさることながら、外部から新たな事業をどんどん取り入れる経営面にあると思います。

ただ考えてみたら、今までFacebookの中から事業の中核となる新たなサービスがオーガニックに生まれてきたかといえば、そうでもないんですよね。
肝心なメタユニバースの事業開発はどうなるのでしょう。返す返すも、Snapchatの買収ができなかったのは同社にとっては残念。
実際にはFacebookやインスタグラム、What'supのユーザーの大半はオープンメタバースの議論にはついていけていないだろう。
世界中でメタバースが何かもピンと来ていない人が多いうちに「メタバース=俺たち」、というブランドづくりを始めるというのはある意味では賢いのかもしれない。アプリとしてのFacebookは存在し続けるわけだし、認知度も既に世界中で十分すぎるほど高いわけだしね。
ただ、Facebookが作り上げるものは「オープン」メタバースではないのだろう。
Facebookなりのクローズドメタバースを作り上げその中で、新たな集金ビジネスを広告モデル以外で立ち上げるとみるのが正しいのだろう。AppleやGoogle Androidに肝心要の部分を握られている現状、OSのシステム変更ごときで利益モデル・成長モデルが侵される現状では、Facebookもとい、Metaはさっさとスマホ時代を終わらせてメタバースやARVRデバイスの入り口出口をおさえてしまいたいと思っているということなのだろう。
これまでのインターネットはリアルより便利にするためのもの、即ち、主はリアル、ネットは従。メタバースはこれが逆になる。主はネット、リアルは従。

インターネットファースト、バーチャルファースト。新しい時代が始まる! Metaverse is Now!


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めたwww 誰も止めなかったのか… 絶対にHorizonの方が良かった!w

GAFAMの呼び名も変わるな〜 この際GoogleはAlphabetにして、Apple、Amazon、Microsoftで、Meta。

「MAMAA〜」 ママ〜とかが可愛くて良いかもw
問題が起きると名称を変更するという逃げの姿勢は相変わらずです。仮想通貨もLibraが世界中の規制当局から総反発を受けると、Diemに名称変更。今回は内部告発でFacebookからMetaへ。

米国当局は、内部告発に対して捜査に乗り出す方針。問題提起に対し、真摯に解決策を実行すべきです。メタバースという新規性でFacebookのイメージを変えようとしても、根本の思想を変えなければ、世間の目はごまかされません。
Facebook改めMetaの描く世界が凄すぎます。
どれだけのAIが搭載されるんだろうか、とワクワクが止まりません。

実社会におけるAIの適用より、メタバース内でのAI適応の方がなにかと補正も効きますし、安全性なども問われることが少なくなるはず。メタバース×AIの展開に目が離せません。

みなさんもこの動画は一度は見られたら良いか思います!

https://youtu.be/Uvufun6xer8
そう来たかという感じです。メタバースには技術だけでなくマネタイズ面でのハードルが指摘されていますが、既存ビジネスがまだまだ稼げるときにこうした動きをするのはNetflixを思い出させます。GEもIOTに振るときには自信満々でした。おそらく少なくとも1度や2度は躓くと思うのですが、その時からが本当の勝負という気がします。
プラトンのイデア論の頃から、精神と肉体を
別に考える傾向が人類にはある。

しかし私はこれは間違っていると思う。

健全な精神は、健全な肉体に宿るのである。
なので、更にデジタルに没入する方向は
私は間違いだと思う。

だからサイバーとフィジカルが一体となる、
CPS、体験と感覚が一致していく世界
を目指すべきだと私は思う。