ノーコードの限界は意外と近い まつもとゆきひろ氏が語る、プログラマーが仕事する相手は“人間”ということ
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注目のコメント
「汎用プログラミング言語は複雑さを取り扱うものとして進歩してきた」
ノーコードと普通のプログラミングの境界として「複雑さ」を挙げているのは腑に落ちます。
プログラミングの複雑さのかなりの部分は現実世界の複雑さの反映で、それはノーコードで隠されはしても本質的に無くなりはしない。ノーコード・ローコードの定型の枠を越えた複雑さに直接対峙し始めると汎用プログラミング言語が有利になってくる。
ノーコード・ローコード自体に技術的なブレークスルーは無く、現在の広まりはECを中心に定型化によって複雑さを隠せる範囲で十分な市場が見込める適用領域が増えてきた事によると思う。> プログラマーは、ソフトウェア開発全般に関わる人だと思っています。つまり、「どんなソフトウェアを作るべきか」から始まり、「そのソフトウェアが本当にその自分の作るべきものだったか」を確認するところまでする人、ということです。
本当に自分が作るべきものだったかを確認し、違うものだったら、あるいは時間が経って違うものになったら、さらに改善をしていくのがプログラマーの仕事。
さらには、ユーザには見えない内部品質にも特に気を使い、壊れにくく、改善しやすいものにしていけるかどうかの腕が試される。
本当に奥が深くて、これから先も何年もかけて腕を磨いていきたい、そう思える仕事です。
今まで見てきたできる人は、自分をプログラマーと名乗っていました。
プログラマーの一般的なイメージはコーダーって感じだけど、まつもとさんの仰るようなことができる人こそがプログラマーであり、そういう人たちはプログラマーという職業に誇りを持っている気がします。まつもとさんの記事第2弾です。最近話題になり始めたノーコードとプログラマーの関係を鋭く突いたインタビュー記事になっています。ぜひ御一読を。