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【御田寺圭】社会に白けた若者の「生存戦略」とは?

NewsPicks編集部
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    株式会社ビービット 代表取締役

    『若者たちの間ではいま「人生の太さは実家の太さ」「親ガチャ」といった、なんとも不穏なワードが流行している』とあります。

    政治の世界をみても、政治家だった親が、子どもに地盤を引き継がせる世襲政治家の存在が目立ちます。選挙で名前を書きやすいように、「太郎」や「一郎」と名付けられている方々なので、見分けやすいです。

    自分の努力や才能ではなく、親や家庭環境など、自分では左右できない要素で人生が決められると、若い時に感じてしまうと、挑戦するエネルギーが失われてしまうのも仕方がないのかとも思います。

    機会が平等にあって、自分次第で人生を切り開けるという希望を頂ける社会にしたいです。


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    Interstellar Technologies K.K. Founder

    一方で、スマホSNSの普及により資金調達の民主化(クラファンやNFTなどのCryptなど)や地理的ハンデの克服が容易になったりと私たちの若い頃はどうにもならなかったハードルを容易く超えられるようになっていることには言及されてませんよね?
    私的には総じて下克上が簡単になってる気がします。それをできない/しようとしない、のはやはり同調圧力を強要する義務教育の弊害が大きいと思います。


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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    立身出世(上昇移動)の可能性は、明治に激増しました。江戸時代が、あまりにも階層固定されていたからですが、明治になってから、教育を受けられる機会、新しい仕事(軍人、会社勤め)、人口と領土(=市場)の増大が、上昇移動の余地を急拡大しました。
     第二次世界大戦が終わった後も、明治維新ほどではありませんが、上昇移動の可能性が広がりました。主な理由は、米国との経済的な融合でした。
     平成には、上昇移動の余地が増えなくなりました。グローバル化が、新たな上昇移動の機会を提供してくれると考えられたこともありました。しかし、グローバル人材市場で上を目指して闘争を続ける人生、に魅力を感じた日本人はごく少数でした。
     結局、日本人枠が保証された囲いの中での上昇移動ルートが用意されていないと、魅力的とはいえませんでした。政治がそのようなルートを用意しない(できない)以上、政治に積極的な関心を持てない、ということはいえるでしょう。
     「マイクロ共同体」というのは、都市部のホワイトカラーではなく、地方のマイルドヤンキーなどと呼ばれた、「地元の仲間」を大事にする層のものでしょう。地方に行くと『High & Low』のようなヤンキー・ドラマを愛好する層がいると聞きます。
     一方、都市部の若い世代は自己実現的欲求を重視するため、同好の士、趣味の共同体のようなものは発達しています。
     若者の政治参加、というのを進めたいなら、上昇ルートはもう用意できないので、若者コミュニティに接触してその要望を実現する政治をするべきでしょう。『High & Low』の達磨一家がそろって暮らせるように団地を斡旋するとか、クラブや定食屋を経営するのが夢、というチームのメンバーがいたら支援策を斡旋したり。
     あるいは、同人誌即売会やファン・コミュニティ、コスプレ・サークルのネットワーク、オンラインゲームのギルドなど、数千人を動員できる若者の組織はいくつもあるのですから、そういうところと接触を繰り返して、政党としてできることを提示して協定を結べばいいでしょう。
     どうも「若者の声」なるものは、極めて少数の判を押したような優等生みたいなパターン化した声ばかりがメディアや政党には取り上げられるように見えます。数千人を動かせる実力のある若者は何人もいるのですから、そこと協議を繰り返さないと、若者の政治参加など進まないでしょう。


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    リブライトパートナーズ 代表パートナー

    ーー人口の絶対数が少なく、しかも投票率も低い若者層のために働くことは、少なくとも国会議員にとってはまったく「割に合わない」「コスパが悪い」ーー

    これはもう二、三十年前から明らかで、政治に限らず経済社会システム全体が高齢者オプティマイズド国家になっていることは明白、例えば毎回帰国して異常に感じるのはTV番組もCMも新聞広告も健康食品だ老眼鏡だとここまで中高年向けばかりで溢れている国は珍しい。

    ただし、だから若者がシラけてているのかというと、それもそうだろうが、それより世界に通底するのは先進国や新興国でも都心の裕福層における若者というものは概してシラけるものである。
    よく全共闘世代の敗北に今の若者のシラけの原因を求める論もあるがそれは彼らが高度経済成長期(の終わりのほう)にあったからでありそれが終わったからシラけたに過ぎない。

    問題の核心はむしろ
    ーー彼らから「社会への基本的信頼感」を奪ってしまったのは、いったいだれで、なんであるか?ーー
    のほうだと思うが、社会の基本的信頼感が奪われたというよりは、日本にはそもそも社会がほとんど存在しない事が問題だろうと、海外から眺めていていつも感じている。
    例えば多くの国には街中の至るところに教会やモスクがたくさんあり人々が集っている。あるいは欧州では自治体の単位が日本より遥かに小さい、故にオラが村に愛着があるが、例えば東京で自分の住んでいる区の首町の名前をパッと言える人はどれくらいいるだろうか。
    昔は企業が社会システムの役割を担っていたがそれも崩壊しつつある。
    日本における社会の不存在とは、若者に限らず大人にとっても最も大きな問題の一つでありかつ、それが日本特有の問題として若者のあり様を定規している大きな要因の一つだろう。


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