【保存版】「ポスト資本主義」を読み解くための20冊
コメント
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こういう、ある特定領域における、
現在に至るまでの文脈理解のための鍵となる
本の紹介はとても良いと思う。
そして、本の紹介だけではなく、
その本質を抽出して現在地を示すのは有意義。
そもそも、水も空気も土地も、誰のものでもなく、
みんなのものでもあるし、かと言って、
誰かが育てた農産物を奪うのも違うし、
あらゆる共有資源を使って、環境にダメージを
与えてる以上は、それによって得られた
富の分配は論理的に正しいし、
個々が割いたリソースに対するリターンは
それなりに報われる権利も正しいと思うから、
やはり、どう考えても、バランスの問題だけ。
偏ることによる、戦争やテロなどの頻発の方が、
誰もハッピーにはならないし、過去に後退
してるのと変わらない。
それをみんなが理解、共感して、
取り残される人が生まれない仕組み、
頑張ってくれた人が報われる仕組みを
つくっていきましょうよと強く主張したい。
左右それぞれのポジションから、反対側を
否定してるだけでは、何も進まない。
そのポジションは、生まれ、育った環境の
たまたまの運ゲーでしかないのだから。
注目のコメント
「ポスト資本主義」を提示する具体的な書物が、あまり無いのですよね。
マルクスのやったことは『経済学批判』なので、マルクスを理解するうえでは、マルクスの批判の対象であったアダム・スミスやリカードを理解することが必要になります。
主な争点は、「商品の価値を生むのは何か?」ということで、マルクスは、「労働」と主張しました(労働価値説)。資本家というのは、労働の価値に値する賃金を払わずに商品を売却することで、支払った賃金以上の利益(剰余価値)を得るという搾取を行う人々であるから、そのような搾取が起きない仕組みを提唱しました。それが生産手段の公有化であり、そのための革命でした。
20世紀になると、商品の価値を生むのは、「労働」ではなく、商品自体がもつ「効用」であるという主張(限界効用説)が主流になっていきました。この変化の影響は非常に大きいので、ヒックスなどの著書も必要でしょう。
労働価値説にこだわる限り、商品の価格は労働量に基づいて決定されねばならず、剰余価値が発生しないようにするためには資本を蓄積する経営者が存在してはなりません。結局、国家が管理する計画経済にならざるをえないのですが、レーニンがソ連でつくった体制は、「国家資本主義」あるいは「国家独占資本主義」と呼ばれたりしました。今の中国も「国家資本主義」と呼ばれることはあります。
マルクス主義系統の出す案が国家資本主義以上のものが現われず、コンピュータやAIによる精緻化は唱えられますが、レーニンの頃から、画期的な具体案は出ていません。具体的な経済制度の案を出さないマルクス主義者の多くは、マイノリティとか、文化とか、環境問題の話ばかりするようになりました。
なお、「ポスト資本主義」という言葉は、マルクス主義以外でも1980年代くらいからあって、たとえばドラッカーなんかが、「従業員資本主義」がポスト資本主義であると言っていました。現代では、知識が生産において重要であり、各従業員が知識を持っているから従来のような資本家だけが収益を蓄積するわけではない、というような話でしたが、資本主義が終わる、というほどの話ではなかったと思います。ブローデルとウォーラスティンの本は、「知の巨人」と呼ばれたタイ研究の大家、故・石井米雄先生が必ず読みなさいと強くて奨めていて、学生次代に読みました。ブローデルの「地中海」は、ヨーロッパ史の本というよりも、ものの見方を示唆してくれる良書でした。
西洋的なナショナリズムや植民地経済のなかで、土着性をどのように組み込んでいくか、国家や民族とはいったい何なのかを考える上では、アンダーソン「想像の共同体」、「三つの旗のもとに:アナーキズムと植民地主義的想像主義」もお勧めです。
その他、サイード「イスラム報道」「オリエンタリズム」も、西洋資本主義社会とは異なる目線からの歴史や社会の理解としておすすめです。良いまとめ稿だと思う。若い人は世に起きてる事象をサムシングニューだと捉えがちだがほとんどの事は古今東西繰り返し起きたり論じられたりしてきた事である。資本主義への失望についてもそうで、このように古典の歴史を振り返ればそれがわかりやすい。所詮は振り子の原理で、今はこの半世紀ほど続いた新自由主義的世界からの振り子の逆振れ局面にある。30年前のドラッカーあたりでほぼ言い尽くされた議論だろうと思う。