小中高生3万人が長期の「自主休校」 新型コロナ不安で 20年度
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「コロナ禍」は人災
連日「最多、最多」と報道してコロナに対する恐怖を植え付けたマスコミ
人流制限しか能が無く社会活動を停滞させた分科会
補助金だけもらってコロナ患者を受け入れず病床逼迫を招いた日本医師会
注目のコメント
本文中には自主休講中にも「オンラインを活用した学習支援に取り組むよう求めてきた」とありますが、教室空間で進行している授業にオンライン参加するととてつもない疎外感が生まれます。ある学校では自主休講をしてオンライン授業を希望している子どもだけからなる新たなクラスを編成して、オンラインでの学びに特化させてました。
ハイブリッドは教師も授業を受ける子どももただただしんどいので、できれば別々に分けてしまったほうがむしろ全体のクオリティは上がると思います。(もちろん休み時間や給食中などはハイブリッドで問題ないですし、むしろそうすべきだと思っていますが、こと授業についてはもう少し質を考えなければ行けないフェーズに入っていると感じています。)家庭環境などを中心に生徒たちの状況はそれぞれです。全く同じ環境であるという子どもたちはいませんし、各家庭でコロナのリスクも判断基準も異なります。さらに、生徒たちの心理状態は例年に比べ非常にデリケートです。昼食も黙食、体育や部活動も制限がある中での活動となっております。行事に関しても縮小や、修学旅行に関しても高校3年生は中止で、受験に関してもイレギュラーに対応しながら懸命に努力しています。
そんな中でも前向きに学んでいる子どもたちにどのような言葉でエールを送ることができるか。また、これまでにない形での付加価値を創造する力が教職員には求められていると実感しています。
「例年通り」「横並び」という思考ではなく、前に、前にという思考で職責を果たしていきます。「登校すること」自体はそもそも学校教育の目的ではないと私は考えています。
もちろん、対面での人と人との関わりで学ぶことは大きいですし、私自身、それに慣れています。
しかし、同じ年齢の多くの子どもが集まって学ぶスタイルは日本では明治以降の150年程度の歴史しかありませんし、諸国ではホームスクールが認められていたりします。
そう考えると、「登校するほうが良い」という前提自体、「なぜ登校する必要があるのか?」「それは絶対なのか?」「そうでない可能性を考えてみるとしたら?」と再考する必要があるのではないかと思います。
登校するか否かよりも、オンライン、スクールング、様々な方法で「どうやって教育の質を高めるか」を考えてゆくべきではないかと思います。