「高学歴の人」たちがなぜか「没落」していく“ヤバい時代”がまもなくやってくる…!
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これはまあそうでしょうね。そもそも高学歴を獲得した層も複数あると思いますが、かつての東大文一→官僚に代表されるようなエリートコースというのは、既得権益を守る保守エリートコースであり、新たな地平を拓くことに適合しているタイプではない。そして変化を起こさないことが自分の地位の安定をもたらすわけで、自分が関知出来ないところで起こった変化に対しては防戦一方にならざるを得ず、結局没落するしかない。
ただし、同じ高学歴でも、理系大学院や米国を中心とした海外でグローバルレベルの教養や先進の専門性を獲得した人はこの「没落高学歴」というものの外に居る。彼らは「新卒就職までに払ったサンクコスト」みたいな概念がなく、世の中の変化に対応するための知識の更新や自らの進化も厭わない。
「高学歴を獲得したとしても意味がない」と本稿を誤読する人も多いかもしれないが、必ずしもそういうわけではない、ということには留意する必要がある。世の中が『北斗の拳』やそのモデルになった『マッドマックス』の世界にでもならない限りは知能が高くルールを作る側にいる知識階層が世の中を牛耳ることに代わりはない。大事なのは「これまで」のルールを「守る」ことに長じた者ではなく、「これから」のルールを「創る」ことに長じた者が強いということだ。
注目のコメント
「それには日本の大学受験や名門大学に入ることを前提に、子どもの幸せを組み立てないことでしょうね。」
このご意見には賛成。ただ、グローバルに出ていけというご意見のなか、実は日本よりも海外のほうが学歴重視である点はほとんど指摘されないのはいつも不思議に思っています。もちろん、日本で思う「学歴」は単に偏差値重視の話であるのに対し、海外では「人歴」すなわちその学校に集う人たちとの人脈を持っていることが評価されているということを考える必要はあります。
もう1つ。個の時代が叫ばれるのも事実ですが、海外の方が日本よりも格段にコネ社会です。これも意外に思われる方が多いかもしれません。でも、考えてみてください。生まれた国も文化も宗教も学歴も異なる中、なにを信じるかといったら自分が信頼する人がその人に太鼓判をおしてくれること以上の評価基準があるわけないですよね。
だから、個の時代といいつつも、自力でどうにかするとか家にこもっていてもいいという話ではなく、これまで以上に多面的に努力を重ね、人と接し、人とコラボする力を身に着け、周りから「この人は」という評価を得られるよう研鑽が必要ということかと思います。「学歴に頼る」はやめた方がいいけど、保身と学歴は関係ない。私は採用する時は学歴を全く見ないですが、やはり高学歴の方は基本高スペックですね。受験という難関を通り抜ける努力は先にも生きていくのだと思います。レールに乗った人生が嫌で高校中退した私でもそう思います。因果かどうかはともかく相関は高い。守るものが多ければ保身に走るのはどこでも同じ。昭和でも平成でも令和でも島国でも大陸でも同じ。そういう価値観ができるだけないところで働きたいので、私はスタートアップで働きます。
学歴や肩書に頼る「高学歴な人」が没落する。
過去の経験で得たステータスがあれば、大丈夫だと考える、尊敬されると思っている人たちですね。
リタイアが近づくと、ますますその傾向が強くなる。定年退職がない立場にいる人は、そのポジションにしがみつく。
既得権益だけで生き延びていこうなんて考えるのはやめる。何歳だって関係ない。常に成長し続ける人が活躍できる、楽しい時代です。