M・ザッカーバーグ氏、Facebook批判に反論--「自社の利益優先」は「誤解」
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この問題は社会の大きな転換点を意味していると思います。
これまでも、経済性や利益を優先する事業行動が、不幸な人を生み出すことがありました。これらは、ある時から許されなくなってきました。アヘンなどの麻薬の販売や公害を引き起こす工場が古い例ですが、最近では、脱炭素やフェアトレードなども、同様の構造です。
今回のFacebookの問題は、これまで自由放任だったIT業界、特にSNSの世界でも、いよいよ同様なことが起きたということです。
広告効果という経済性を優先する事業活動が、人を中毒的な状況に陥れ、特に子どもに大きな悪影響を与えてきたということだと思います。最近ではNetflixの"Social Dilemma"というドキュメンタリーがこれを痛烈に批判的に描いていました。さらに最近の米国の学術誌Science Advance誌には、いいねボタンが人の怒りを増幅させることを示す論文が掲載されました。こういうことは許されないということです。
しかも、これはただの入り口にすぎません。これまでは、このように注目された特定のテーマで経済性と幸せとの関係が問われてきました。
これからはあらゆる事業活動、あらゆる政策判断や教育など社会のすべての判断の時に、不幸な人を生み出していないかを問うことが求められるのです。
これこそが「ウエルビーイング」という流れです。
そんなことが本当に可能かという人もいるかもしれません。よく考えてください。
これまで、あらゆる社会の活動で、お金の出入りがバランスするかを社会人は問うてきました。それが当然と思われてきました。これが出来るのですから、事業の判断が、不幸せな人を生んでいないかを問うことはある意味で当然です。いくら利益が出ても、経済性が高くとも不幸な人を生むような事業は許されてはならないのです。
もし、株主が不幸を生むことなどは気にせず、ともかく金銭的なリターンだけを最大化することを望むというなら、その株主こそが社会に不幸を生んでいるのですから、不幸に伴う様々な責任や賠償を負うことになります。
これは最も原始的で基本的な「倫理」の姿でもあります。
ウエルビーイングとはあらゆる事業活動に「幸せという問い」を発し続けることなのです。
注目のコメント
実際のザッカーバーグの投稿を読むと説得力がある。https://www.facebook.com/zuck/posts/10113961365418581
今回は内部告発者もそれを祭り上げたWSJもハードエビデンスに乏しく印象論に終始しており分が悪いと思う。別に上場企業としては、
「自社利益」を優先することは、
経営の基本ですので否定することは
無いかと思います。
逆にFacebook社が本当に
「利益を優先しない」のであれば、
投資家から見放されていることでしょう。
素直に「利益優先は事実」と認めた上で、
他の内容については誤解がある、
とした方がよほど誠実な気がします。FBよりもTwitterの方がよほど過激で人を追い詰める仕様だと思うけどね。拡散力もある。tiktokやYouTubeはどうなのか。とかね。
FBに投げかけられる批判はわからないでもないし、当然のものもあるが、努力はしている、というザッカーバーグの意見はあるレベルでは真っ当なものであるようにも思う。