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日頃からの積み重ねなのだと思います。
学校現場で当たり前のように議論できるのは、教育現場だけでなく、家庭や地域コミュニティでも建設的に議論できる素地があることも影響しているのではないでしょうか。

議論がイデオロギーや感情の対立になってしまうと、議論そのものに疲れてしまいます。感覚ではなく事実で議論するトレーニングが大切ですね。
冷静な対話抜きに、民主主義は成立しないです。
さらっと書いてある「ノルウェーでは大学受験がない代わりに、高校での普段からの成績の平均点が、どの大学の学科に入学できるかを左右する。」という点は、記事の本題から少し外れますが日本との大きな違いであると思います。

まず、授業がこのようなディスカッションやプレゼン、論文、グループプロジェクトなどなので、答えがない問題について考える力、コミュニケーション能力、分析能力、クリティカルシンキングなどが磨かれます。そして、大学の選択に直結しているので、みんな頑張って取り組みます。

次に、成績はクラスの先生がつけるわけなので、自分のクラスや学校の中でよい成績をとることが大事であり、進学校に行ったから良い大学に入れる、というシステムではない、ということ。アカデミックレベルの高い高校、というのもあるのですが、そこに入ると周りも勉強ができる子ばかりなので、相対的にみれば成績が下がってしまうかもしれません。つまり、アカデミックレベルの高い高校に入って中くらいの成績を取るより、そうでもない学校に入ってトップの成績を取る方が大学に入るには優位なのです。となると、勉強のできる子が一握りの高校に集中することがなくなり、学校間や地域間の学力格差が開きません。

もちろん、そうなると先生の成績の付け方が気になりますが、ノルウェーでは学校の先生になるには修士課程まで勉強する必要があり、こういった授業を上手にモデレートできるようにみっちりトレーニングを受けるそうです。また、採点の基準などもあらかじめ生徒に知らせてあり、先生からフィードバックも受け取るので、なぜこの成績なのか、というのが説明されています。

加えて、ノルウェーの子供たちはほとんど全員(95%だったかな)公立の学校に通っているので、お金を出せばよい教育が受けられて、よい大学に入れる、というものでもありません。

ちなみに、高校に入るのも同じシステムで、中学の成績で決まります。

平等主義の国だからできるシステムかもしれませんが、参考までに。
これは素晴らしいルポ。主体性を学べる主権者教育って面白いですよね。
総選挙をテーマに、選挙権を持たない高校生もこれだけ突っ込んだ議論をするノルウェー。政治を考え、語る習慣がどう作られているのか、その一端が見える貴重なルポです。
授業の進め方に根本的な違いはあります。この内容(ノルウェー)・議論型の学びに関し、日本の教育にもっと活用するべきだと思う。同学年の生徒達の意見交換を見聞きする事で、先生からの一方的な授業とは違う刺激を受けることは絶対です。
海外の事例と比較して日本の教育は立ち遅れているというつもりはありませんが、この記事にある内容に関しては真摯に学ばなければならないと思っています。
選挙権が与えられても「何のために?」が抜けていては意味をなしません。
校則について、学力偏差値を重視する社会についてなど我々教師たちも共に「何のために?」を議論していかなければならないと思います。

政治に関すること以外にもオープンなマインドで大きな規模の話をする機会を学校で増やしていかなくては。
社会科の先生がこれを担う。

これはもう、『社会科』の概念(指導要領)が根本から違うのかもしれないですね。
単純比較するのは日本の教員に失礼かも知れませんが、是非とも導入してほしい授業。
日本の学校教育もこのようになっていきます。

すでに、そういう学びが始まっています。
教師側が自己理解(自分自身にバイアスあることを理解してることで、必ずしも完全中立でなくていい)が進んでいて、多様な価値観や意見の存在が許容できることが大事。その多様な意見が生徒から出ても、だ。ファシリテーションスキルが高い低いの前に、それできてないとつらい。

校則で指導やりすぎましたーみたいなニュースも出る学校で、多様性ある意見出てくるのか。
朝日新聞みたいな低質かつバイアスだらけのメディアがないからでしょうね