なぜ、日本では最上流の思考ができる「アーキテクト人材」が少ないのか?
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常識に慣れて思考停止になっている。
それが現状です。平均的、秩序、具体、多量、分業、階層、これらすべて従っていると楽な言葉。前例踏襲で生まれることですね。
尖ることを恐れない、混沌や抽象も平気になるなど、川下から脱却して川上に行き、最上流思考をしましょう。
意識を変えるだけで、仕事も人生も楽しくなりますよ。川下川上、両方を経験した人が少ないから。経験もせずに考えることができるようになることは難しいと感じます。
例えば、スポーツでは、選手経験もあり、監督経験もある人は、川下川上、両方経験してるので、自然と両方考えられる。
仕事でいえば、担当の立場と経営の立場を両方経験すれば、川下川上、自然と考えられるようになるかと。
今はサラリーマンと個人事業主や小さい会社経営を掛け持ちできる時代。小さくともそういう二刀流の経験をすることがアーキテクトな思考を身につけることにつながると考えます。タイトルを見て、細谷功さんっぽいと思ったらやはり。
川上から川下のアナロジーや整理方法は、これまでの著書でもありました。アナロジー思考や地頭力を鍛えるフェルミ推定、具体と抽象など。
記事をみた限りでは、今回のアーキテクト思考も似たような構造と思えます。アナロジー思考は2011年の初版ですから、10年やそこらでは、必要とされる資質に変化がなかったと考えられます。ということは、ある意味で、抽象的な物事を取り扱う問題の定義や0→1の尖った考えは、普遍的なニーズのある思考方法なのでしょう。