JR駅の顔認識カメラ問題 報道とヤフコメの「ズレ」から見えたもの
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注目のコメント
「大きな論点は『人権』と『治安』のバランス。似たような取り組みは今後も出てくる。まずは議論を通じて社会的コンセンサスを形成し、何をしてよくて、何をしてはいけないのか、といったルールを制定することが重要になる」
全くその通り。「バランス」とあるが英語では普通proportionate(釣り合いがとれた)という表現が使われる。良い・悪いの二択では無く、その弊害をちゃんと認識した上でその用途の制限や救済策を議論するプロセスを通じて釣り合いがとれる落とし所の合意を図る事が必要。民主主義なのだから。
これワクチンパスポートの議論でも同様。必要なのは「差別と区別は違う」といった無意味なレトリックによる免罪ではなく、その弊害を直視して適用範囲や運営方法について釣り合いのとれたルールを議論する事。現状は各々が私の考えるワクチンパスについて賛否を述べるだけで、落とし所を探る議論が本当に無い。犯罪を未然に防ぐための顔認識カメラは、大多数の犯罪と無縁に生きている人は、「自分たちを守ってくれるもの」と考えると思います。
それが別の目的に使用されることは基本的ないものですし、別に部屋の中を見られるわけではありません。
仮に自分が監視対象だったとしても、そこで犯罪を侵さなければ、何ら行動制限を受けるものではありません。
一方で、伊藤計劃の「ハーモニー」も思い出しました。
何よりも生命が尊重され、隅々まで記録され、相手の素性はすべてコンタクトに映しだされ、自分の素性も常に開示し続けなければならない世界
プライベート、という言葉を性的な意味でしか使わなくなってしまうくらい、その他のすべてを曝け出して当たり前になってしまう世界
現在は、かつてとは考えられないくらい、正しくあることが重視され、品行方正で正しい人間だけが表の世界で生きていけるようになってきているようにも感じます。