“優しさの拡散”を目的とした「drive-by kindness」という活動が話題 「優しさを拡散するのって難しいことではないんだよね」「言葉にするって大事」
コメント
注目のコメント
とても素敵な事例だと思うのですが、日本社会は確実に逆方向に進んでいるように思います。
容姿や服装を褒めるのは、
教員としてはあまり褒められたことではなく、研修等でも口にしないよう言われます。
異性の場合はセクハラになる場合もあります。
元々は、「相手との関係性や場面に寄る」というものだったのかもしれませんが、学校で容姿を褒める必要はないですし、わざわざ危ない橋を渡る必要ない「不要なもの」だと考えられているのだと思います。
単純に、いい天気ですね、と声をかけたり、朝の挨拶をしたり、そんな関係性が日本人には向いているのかもしれません。最近は、近所の子ですら、中々挨拶を返してくれない風潮がありますが……。
私は生徒に会うと「元気?」と声をかけることが一番多い気がします。
キリスト教の黄金律は「自分がして欲しいことを人にもする」ですが、
孔子の教えは「自分がされたくない事は他人にもしない」
押し付けがましさのないのがいいところですが、人との交流は抑制されそうな文化なのかもしれないと思います。
特に、ネットの発達で様々な不満が渦巻いている中では、人に声をかけること自体が危ない橋で、不要なもの、と認識されるのかもしれませんこれが日本で、親子連れが声をかけられたらと想像してしまいました。なんだか、親が子に「相手にしちゃダメよ」と言って通り過ぎていくような気がして。
他人に褒められることは、つけ込まれたり、弱みを握られることと解釈しなければならないのはなぜかと考えてしまいます。素敵ですね!
アメリカと比べると、日本では人を褒めることが少ないように思います。自分を褒めることもしかり。
通りすがりの人を褒めるのは、私には少しハードルが高いですが、
まずは身近な人を褒めること、意識して行ってみたいです。