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人類学というのは、欧米の植民地支配がなければ発生しなかったもので、かつてのキリスト教の宣教師らの後裔にあたります。
 戦国時代に初めて日本に接したヨーロッパ人の中で、誰よりも熱心に日本語を学び、日本についての膨大な報告書を書いたのは、ルイス・フロイスのような宣教師たちでした。それは、キリスト教を宣教するためであり、聖書を現地語に翻訳するという目的があったからでした。
 教会が欧米で最も強大な組織だった時代が終わると、英国やフランスのような近代国家が植民地のために現地調査を行いました。政治、経済、地理から宗教、植物、文学まで現地人よりもはるかに細かく調べ尽くそうとしました。そういう情報が、統治と経済開発のために非常に役に立つことを理解していたからです。
 米国の人類学者ルース・ベネディクトが太平洋戦争の開始直後、米軍の依頼で日本占領政策策定のチームに参加し、その時の研究をもとに『菊と刀』という著書にまとめたことは有名です。日本軍も東南アジア各地の調査を依頼しましたが、人類学者の層の厚さが、米国には遠く及びませんでした。
 20世紀になって、植民地統治の時代が終わっていくにつれ、アジアやアフリカの調査は、人類学という分野に衣替えしました。ベトナム戦争やイラク戦争でも米軍からの発注はあり、近代国家は今もなお人類学の重要な顧客です。しかし、グローバル企業の時代になると、企業が主な顧客になっていきました。
 企業文化の研究、というのが人類学の大きなジャンルになりました。その時代に盛んになった産業に合わせて、開発人類学、医療人類学、観光人類学といったジャンルの研究が盛んになりました。ある種のヒッピー文化、文化相対主義、近代文明批判の旗振り役にもなりました。
 ただ、人類学というのは、数十人~数百人程度のミクロな研究対象に密着する研究です。そういう小規模な未開社会を研究することで人間のあり方を理解できる、という前提でやってたのですが、1つの村についての研究は、1つの村を理解しているに過ぎません。そこからより大きな社会や国家、文明を語ると根拠のない主観にならざるをえませんでした。
 現在のデータ・サイエンスで、複雑な社会で起こることを数学的に検証しようとするようになる以前は、それでも「社会科学」という扱いでしたが、社会についての研究は大きく変わろうとしています。
とても分かりやすい文化人類学のお話。
学部と修士の専攻が開発人類学でした。当時のバングラデシュやフィリピンの農村でフィールドワークをした時の、気づきを得ていくプロセス、自分の視点を変えていく作業はすごく大きな経験でした。ソーシャルキャピタルに関心が向いたのもここから。
コンサルタント、事業経営とビジネスの世界に入っても自分のものの見方のベースとしてずっと使ってると思うし、まさにリベラルアーツ。仕事で海外転勤になった時もいち早く現地のコミュニティに入り価値観を理解していく方法は役立ったなあ。
もっと広がっていくといいと思います。
個人的にはまたいつか異文化にどっぷり浸かりたい。
文化人類学。お話を伺うまで、ここまで「ヤバイ」学問だとは知りませんでした。対象観察の徹底ぶりが半端ないです。研究の一端を伺っているだけで、世界の認識の仕方が変わるのですから、実際に長きに渡る参与観察を続けていると、メタ認知に次ぐメタ認知が行われて、研究の世界に戻ってこられない人も少なくなさそうです。
『客の階層によって物の値段が変わるのが普通だったから。カーストの最上位は僧侶で、その次に貴族、武士、農民という順です。実際の数字ではないですがイメージとしては、僧侶なら鉛筆1本が1000円だけど、農民なら10円という具合です。』

参与観察で実際に一緒に生活した話がでているが、本当に面白い。お金がなくても生活できたり、お金がお酒に変わったり。
お金があまり前提となっていない社会は税という概念もあまりない。でも社会全体の安定のために、価格を変えるという感じなのだと思う。税という形ではない再分配の形。
無意識に当たり前と思っていることも、環境・常識が違えばそうではない。ハッとさせられる点が多い。
エスノグラフィーに注目してきたのですが、これは必読ですね。
実体験から生まれる言葉には説得力があります。
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