Facebook、ユーザーへの悪影響放置など報じたWSJを非難--「意図的な誤解」
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FB副社長のブログは、「複雑な問題に対して、あたかもただ一つの正しい答えがあるかのように情報の断片を都合良く切り取っている」とWSJを批判しています。私はこの主張の当否を判断する立場にありませんが、「情報の断片から全体を断定的に論じない」ということは、ジャーナリストが心がけるべきことであるのはもちろんのこと、SNS上での私たちの振る舞い、ネット上のフェイクニュースや誹謗中傷をどう防ぐかにも関わる話です。ネット上での情報とのつき合い方を考える一助になる記事として読みました。
プラットフォームの歴史は、投稿はあくまで投稿者の責任であり、プラットフォームに責任は及ばない、という立場から始まりました。それが、犯罪やフェイクニュース・誹謗中傷を放置した責任を問われるようになり、プラットフォームも公序良俗を守る責任を果たすようになりました。しかし、是非善悪を判断するということは、投稿者と衝突することでもあります。象徴はトランプ大統領のアカウント凍結ですが、今回は、信頼を獲得している大手メディアと衝突するという新たな段階に入ったと言えるのかも知れません。プラットフォームとは何か、公共の場とは何か。を考えるうえで極めて重要な出来事のように思います。