新着Pick
686Picks
Pick に失敗しました

人気 Picker
死に対し恐怖もなく、心の準備ができるということは、なかなか想像がつきません、瀬戸内寂聴さんが、今年99歳を迎えた際に「愛に始まり、愛に終わる」という本を出され、その際の言葉が印象的です。「もうすぐ100歳。これまで何のために生きてきたのかと思うと、それは、愛するためだと思います。人を愛せなくなったら、人生つまらない。生きることは、愛することです」

年齢を重ね、死に対して意識が高まるほど、「死ぬ瞬間に後悔しないように、たくさんやりたい事をやり切りたい。本当に大切な人たちと時間を過ごしたい。美味しい物だけ食べたい」という思いが強くなってくるものですね。「死」という終わりがあるからこそ、「生きる」という事を大切に奏でたいものです。45億年というとてつもない年月を経て、今を生きているからこそ。
空間が無限に拡張できるとした場合、新しい世代同士で交配するのであれば、旧世代の生物が死ぬ必然性はないのでは、と、思いました。

個人が死の恐怖を克服しようとすること、種としてフロンティアを開拓し続けることは、同一の問題を解決する手段とも言えますよね。
要約された内容をさらに要約すると、死を以下のように捉えることができます。

・「死」は進化が作った生物の仕組みの一部

・激しく変化する環境の中で、生物は「変化と選択」と生き残りの仕組みを採用した

・遺伝情報が変化し多様な「試作品」を作り、変わりゆく環境下で生きられる個体や種がいるおかげで「生命の連続性」が途絶えることなくつながってきた

・体の構造が複雑になると、生命誕生時のようなフルモデルチェンジはリスクが大きくなるため、ある程度変化を抑えつつ多様性を確保するマイナーチェンジの仕組みとして有性生殖が生まれた

・子供のほうが親よりも多様性に満ちており、生物界においてはより価値があるため、進化の過程で、親は子より早く死ぬべくプログラムされた

・生物にとっての死は生命の連続性を維持する原動力

それで、死を利他的という時の視座は、どこにあるのかが気になりました。

遺伝子を存続させるという各個体が持っている目的を利己性だと定義すれば、死ぬメカニズムも利己的な目的に従属しているだけだと言うことも、できるのではないでしょうか。
自分の人生が大きな流れの一つのパーツに過ぎないと思うと、とても楽になる面と、そのイレギュラーを作ってみたいと思う面と、両面があります。

利他とかでなく、単に確率。
ホモサピエンスが偉いわけでも、生き残らなくてはいけないわけでもありません。
でも、だからこそ、私は自分のできる精一杯を生きてみたいと思います。
本書は既読でした.この記事やコメントにはどれも納得なのですが,一点だけ余計なことを補足しておくと,これが社会的なイデオロギー論と結びつくと危険な方向に向かうことに注意が必要です.
利他的な死。人間以外の生物が自然にしていること。


私が死に恐怖するのは何故か。
それは人間社会が感情や倫理よりも、冷たい計算式で成り立っていると感じるからだと思う。

責任。死への責任を追及されないように、お年寄りを箱部屋に入れて監視するような社会システム。高額だし、お年寄りは孤独だし、若者は貧窮する。

助け合いや人と人の間、人と他の生物の間での愛や思いやりが街から見えなくなった社会で、将来そんな高額な福祉サービスを払えない老婆になったら、ゴミのように扱われかねないという恐怖がある。


今私がしていることは、結局コミュニティ作り。人を思いやり、共有する生活環境を大切に管理し、お互いのwellbeing を考えること。システムに頼らない生活力をつけること。お金がなくても出来る。
連続性の中で、人は生まれ、そして死を迎える。親から子へ、そして次の世代に。それは利他といえるし、自分のためでもある。老化という現象があるかぎり、それにあらがわず、淡々と死を迎えるというのがほとんどの生物です。
もう少しマクロで考えるとそもそも生物一個体を何を持って分けるか、という視点はあると思う。イワシやイナゴの大群などを見ると、生体群をもって一個体と見なすことも出来そうで。極論を言うと何光年も離れた場所から地球を見ると、地球上の全てで一つの生命体と見えることもあると思うんですよね。

案外人類も「個人」という概念になったのって最近で、多産多死の時代は、名前の付け方など見ても、家(血縁)で一生命体のような感覚だっただろうし、この時代の人達の死生感は現代と全く違うと思う。

生物学的に考えると前半のようにぶっ飛ぶので、後半のように人文学部的に考えた方が気づきが多そう。
ちょうど今日サウナに入りながら、細胞の新陳代謝について考えていた中でこの記事に出会えてタイミングが良かった。

ターンオーバーしていくすべての細胞「歌いたい、踊りたい」
なんて考えてました。

細胞は情報を伝達するもの。意思のバトンタッチ。
自分が死ぬべき時に、次世代に素敵なバトンタッチができたらいいな。と希望します。
「生物学で死を見直す」
そうすると死は太鼓の時代よりプログラミングされたごく普通の現象だと実感できますね。
いま人類が挑戦している不老不死や長寿の研究はその前提を覆すものだということ。前提が覆ると生物全体としてどのようなバグが生じるのでしょうね。
この連載について
本を読むことは、心を豊かにしてくれる。慌ただしい毎日のリフレッシュにもなるだろう。ただ、ビジネスパーソンには時間がない。そんな悩みを抱えるあなたにNewsPicks編集部が、本の要約サイト「フライヤー」とコラボし、話題の書籍の要約をお届けする。