「現代の国語」に「羅生門」はNG? 高校教科書めぐり起きた波紋
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この背景には共通テストにおける小説の取り扱いに関する騒動を押さえる必要がある。
当初、大学入試改革の中でセンター試験を共通テストにした訳だが、英語の民間化、国語や数学における記述導入など目玉政策の陰に隠れていたが関係者間で大問題になった1つが小説を排除して契約書などを扱う問題にするという騒動であった。結果としてこれらのものは撤回されることになるが、共通テスト2021国語を見ても小説は出題されている。
元々この変更には(私は契約書にする部分のみ妥当と考えていたが)国語教育の関係者を中心に小説を残すべきとする猛烈なる反対運動が起きていた。そして小説は出題されている。
であるなら、小説を扱っている教科書が欲しいとするのは至極当然の発想である。
他の科目で扱えるとの声も出るかもしれない。しかし、科目配置上この科目までしか置けない場合もあり、これはこうした検定を通した以上、それを潰すのではなくそう変えていくべき案件。
ここで規制強化とかなった場合は筋が違う。
100%の正誤が出せるとは限らない段階で本来小説は評論や契約書と違い入試素材として妥当ではないが、教育として入れる意義はある。そして、入試に出ないものは扱わないという教育しかできない高校ではそうなれば扱いを減らすだろうが、小説でしか扱えない教育項目はあり、扱う意義はある。
教科書に載らなければ一切読んだこともないという事例は珍しくないし、その危険性は高い。であればこそ、入れる必要はあろうかと思われる。人は論理、実用だけに生きるにあらず。
排除しようとした分野は悉く、人間性における推察能力の芽を摘む事に繋がっている。危険な兆候に感じる。
テストで明確な答と採点は簡単になるが、良い事とは思わない。